テンプル騎士団::歴史雑学
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テンプル騎士団

2009-02-04 ; 歴史雑学

甲冑として大航海時代でもおなじみのテンプル騎士団。
騎士団長の甲冑とは・・ド・モレーの甲冑なのでしょうか・・・。
ともあれ、テンプル騎士団について今回は見てみたいと思います。

●テンプル騎士団の成り立ち
十字軍によって形成された国家であったエルサレム王国国王ボールドウィン二世によって、ソロモン神殿の近郊に、エルサレムをイスラム教徒の手から守るために結成されていた宗団に、宿舎を与えた。
これが、テンプル騎士団のはじまりで、聖堂を守る騎士団からきているらしい。
1128年にはローマ法王から認可され、テンプル騎士団はベネディクト修道会の指揮下に置かれる。
これがテンプル騎士団のはじまりとなる。

●テンプル騎士団の様子
長い髭を生やし、赤十字の刻まれた白い服を身にまとい、ロングソードとロングシールドを装備した姿であったという。
組織はピラミッド型となっており、下からそれぞれ「ノビス(新入団者)」「プロフェスト(誓約者)」「ナイト」となっている。
もちろん団員は男性のみ。(なのでDOL内装備でも男性のみなのかな・・)

●テンプル騎士団の拡大
異教徒から勇敢にも聖なる都を防衛するという彼らの姿は、キリスト教地域各地で熱狂的に受け入れられ、感銘したお金持ちの王侯貴族より莫大な寄付が集まった。
13世紀にはフランス・イタリア地域・スペインなどに支部を持つようになり、広大な修道院領を保持するまでになった。
豊富な財力を背景に金融業にも手を出し、信用と財力を元に国王を上回るほどの財力を築いたのだった。
特にフランスでは、1万ちかくもの拠点を有し、フィレンツェのメディチ家のように国王にまで金を貸付るまでになった。
実はテンプル騎士団の金融業が、近代の経理技術の基礎を築いたといわれている。
法王領内の公金の取り扱い、遠隔地への送金、貸し金庫などなどの仕組みをつくりあげ、その大部分を取り仕切っていた。

●テンプル騎士団の最期
あまりに拡大しすぎた金融業は、各国の権力者から次第に疎まれるようになってくる。
14世紀のフランス王フィリップ4世は、当時赤字だったフランス国庫を充実させるには、テンプル騎士団の財産を全て没収してしまうのが手っ取り早いと考えそれを実行に移すべく手をうつ。
(なんという王様・・・・)
フィリップ4世は法王クレメンス5世に働きかけ、テンプル騎士団狩りを容認させると、宰相のノガレにテンプル騎士団狩りを命じる。
ノガレはフィリップ4世の期待に応え、罪のないテンプル騎士団員らを次次に捕らえ、体に無数のクサビを打ち込まれるといった残酷な拷問にかけた後、火あぶりにして処刑した。
その数は5年で54名にも登ったという。
次に、法王クレメンス5世は15000人にも及んだ騎士や多数の団員を擁したテンプル騎士団を教書によって解散させ、それと同時に彼らの莫大な財産を全て没収し、騎士団長ジャック・ド・モレーは火あぶりに処されたのだった。
1314年3月のことであった・・・・。
こうしてテンプル騎士団は国家権力によって非業な最期を遂げた・・・・。
モレーは火あぶりになる直前、
「私はフランス王とローマ法王に、今年中に神の法廷への出廷を命じるだろう」との言葉を残した。
その言葉どおり、フィリップ4世もクレメンス5世もその年の間に亡くなった・・・。
「余は呪われている」という言葉を残して。

DOL世界では・・・
◆テンプル騎士団長の甲冑
男性専用装備
耐久度 250
正装度 30
防御力 45
防御 +2
必要名声合計 3500

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