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テルシオの生みの親コルドバ その2

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テルシオの生みの親コルドバ

2009-01-24 ; 人物列伝

ゴンサロはイザベラ女王の前でいいところを見せれたため、女王の騎士として活躍できました。

●ボディーガードから将軍へ
レコンキスタが完了(1498年)したイスパニアだったが、戦乱の世はまだまだ続く。イタリアに野心を見せるフランスに対抗するためイスパニアはフランスとの間でイタリア戦争(1496-1519 この後にさらに第一次イタリア戦争、第二次イタリア戦争と長くイタリア戦争は続く)に突入。
さらには、北アフリカのイスラム勢力とも戦争を開始する。
(ポルトガルもまた、セウタ攻略したりしている。)
この中でゴンサロが関わるのはイタリア戦争においてである。
彼は女王の騎士として、イザベラ女王のお気に入り効果で将軍に大抜擢されることになる!
軍内では、彼の個人としての勇猛さや戦闘能力は先のレコンキスタで評価されていたが、指揮力は未知数だったので、少なからずの反発はあった。
そして、当時アラゴン王国領であったナポリ(ナポリ王国)へ、出向き、フランス軍とカラブリア南部のセミナラでついに交戦する。これがイタリア戦争で最初の戦闘であった。

●セミナラの戦い(Battle of Seminara)
◆両軍の戦力
・イスパニア 指揮官 コルドバ
歩兵1000、騎兵400
・フランス 指揮官 ベルナルド・スチュワート
騎兵300 重装騎兵300 槍兵600

セミナラの戦いを語る上でかかせないのが、両軍の主力兵であろう。
◆イスパニアのロデレロ
ロデレロは片手剣にバックラー、兜、鉄製のブレストプレートを装備したファンタジーファンにはおなじみの盾と片手剣スタイルの中世イベリアで活躍した歩兵。
レコンキスタの戦いではイスラム勢力のゲリラ戦相手に有効な歩兵として活躍した。
片手剣という特性上射程が短く乱戦に適している。
一方で、敵兵が隊列を乱さず整然とした隊列を組んで突入された時にはもろい。
後に乱戦用兵力として隊に組み入れられることになる。後の時代のコルテスが率いた兵も多くがこのロデレロだった。
◆フランス側のスイス傭兵
スイス傭兵は中世を通じて伝統的に最も頼りになる傭兵として、様々な国から恐れれていた。
傭兵らしく戦闘のプロフェッショナル集団で混乱に陥ることは少ないとされている。
少しスイス傭兵の歴史を見てみると・・・・、14世紀に今のスイス地域はハプスブルク家の支配を脱出し、独立勢力となる。
元々資源に乏しい山の中にあるスイスにおいて、一大産業となったのが傭兵家業だった。
国策として傭兵家業を続けたスイス傭兵の強力さは、すぐに有名となりブルゴーニュ公国とフランスの間で起こった戦争でフランスの勝利に多大な貢献をし、スイス傭兵の名声は確固たるものとなった。その後、肥沃な土地を求めて北イタリアに進出するが、1515年にフランスに破れ、傭兵家業に専念することになる。その後、フランスと和解しフランスの傭兵として参加したイタリア戦争でおおいに力を発揮することになる。
スイス槍兵はセミナラの戦いに参加し、その後ラヴェンナの戦いなどにも参戦する。
槍兵の強みは、剣の届かない位置からの攻撃である。弱点は隊列が乱れ混戦状態になったときに、射程の長さが仇となること。

では、両軍主力を見てみたところで実際の戦闘経過を見てみよう。

フランス軍は左翼に重装騎兵400と軽騎兵400を配置し、右翼にスイス槍兵600を配置した。イスパニア軍はこれに対し、騎兵800には騎兵400を当て、数的優位な自慢の歩兵(ロデレロ)1000をもってスイス槍兵600を壊滅させ、数で不利な騎兵の援護に回そうという戦術をとった。
戦いは、両翼の激突ではじまる。
まず、騎兵同士の戦場では当初一進一退の攻防が続く、しかしながら山間部でのゲリラ戦になれていたイスパニア騎兵は平地ならではの重装備の騎兵に時がたつにつれ序々に押されはじめる。
数的優位であった歩兵同士の戦場では、一方的な戦いとなった。
スイス槍兵先陣は5.5メートルほどあるパイクと呼ばれる長い槍をもって片手剣のロデレロに対して射程外からの攻撃を繰り返す。先のレコンキスタの山間部での戦いでは長い槍は邪魔になって使えたものではなかったが平地の戦いではさえぎるものは何もなく、スイス槍兵はその射程を最大限に生かすことができた。
結局、射程外からの攻撃により一方的に攻められたイスパニア歩兵は敗走。それを見た騎兵部隊も撤退を余儀なくされ、戦いはフランスの勝利に終わる。

セミナラの戦いで敗れたゴンサロは、軍の改革に乗り出すことを決心する。戦いに敗れた原因を分析した結果は、槍兵に対する歩兵の脆さであった。
このように、勝てる軍団を生み出すことを冷静に考えた、彼のセンスは軍人として優れた資質だったと言えよう。
こうして、ついにテルシオの元ともいえるコロネリアが誕生する。
続きは次回。

コルドバさんの画像検索してると・・すごいの発見したので、ご紹介・・・
20070712klphishes_94_Ies_SCO.jpg
↑クリックで画像が拡大します。なぜスペインの将軍が合掌してるのか・・・この謎はコルドバのお話が終わってから明らかにする予定です。

みなさまのおかげで本日も更新できました・・・。

↑お暇な方はぜひぽちっと。
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