ベリサリウスの会戦 対ペルシア 第二期::人物列伝
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ベリサリウスの会戦 対ペルシア 第二期

2009-01-19 ; 人物列伝

二日で三更新と往年の勢いで更新していますベリサリウスの会戦・・。
このまま作者がこのペースでいけるのかが最大の注目点ですよ。

皇帝の嫉妬からイタリア征服完了目前で本国に呼び戻されたベリサリウス。このままくすぶり続けるかと思われた矢先、ササン朝がシリアへ攻め込んできます。
エフタルとの戦い・内政・文化の奨励と内部・外部の憂いを収束させていた稀代の英傑ホスローは、東ゴート王国の使者によってローマの伸張を知り、シリアに攻め込むことを決定します。
これに対し、皇帝はベリサリウスにホスローを退けるように命令します。
いつものごとく少ない兵力を与えて・・・・。さらに今回は新兵がほとんど・・・。
この危機に対し、ベリサリウスは後世でも使われる戦略「間接アプローチ」をもって臨みます。
間接アプローチに関しては、こちら

●ホスローのシリア遠征
当時のローマとの国境線はローマのシリア属州とペルシアのアッシリア地域であった。ホスローは国境を超え、シリアに侵入。
これを見たユスティニアヌスはホスローを恐れ戦うことをやめ、いつものように貢物で解決しようとゲルマヌスをシリアに派遣した。
シリア属州各都市は貢物を支払い、ホスローと和平を締結したが、ゲルマヌスの説得にも関わらずシリア最大の古都アンティオキア住民はそれに従わず、ホスローと徹底抗戦する。
しかし、投石器などの多数の攻城兵器を備えたペルシア軍には全く歯が立たず、降伏し捕虜としてアンティオキア住民30000人がペルシア首都クテシフォンへと連れ去られ、クテシフォン近郊に奴隷のように住まわされることになる。
次にホスローは黒海南西沿岸にあるラジカ国に侵攻(Lazic War)し、ラジカ王を屈服させる。
その最中、ユスティニアヌスによって呼び戻されたベリサリウスは新兵ばかり一万にも満たない兵力で、ペルシア領アッシリアに侵入する。
アッシリアはちょうどクテシフォンとラジカの間に位置する地域で、補給を絶たれることを恐れたホスローは一旦兵を引くことにした。
このとき、ベリサリウスはホスローと戦わずにコンスタンチノープルに帰還する。
それはホスローの脅威の除去に一応達成したことと、自らの妻がアントニナの不倫の噂があったからだ。ここでホスローと決戦を行っていたらどういう流れになったか興味深い・・・。

ここでまたひっぱってきた地図を。
ASIA500.gif
Lazicaというのがラジカなんですが、この図ではすでに領域が狭くなってますね。この図ではローマ領になっている黒海南西部のあたりもこの時代はラジカ領です。
アッシリア地域はちょうどラジカとかいてあるところの南の地域になります。

●再度ホスローの侵攻
いったん軍を引いたホスローであったが、今度は10万の大軍を率いユーフラテス川を超え、シリアに侵入する。これに対しベリサリウスはヒエラポリスに軍を置き、ホスローの帰路街道の遮断を図る。
例のごとく雑兵を与えられていたベリサリウスはここで一計を投じることにする。
まずホスローに和平の使者を出し、使者が来たホスローは敵の様子を探るためにもベリサリウスに使者を送るとベリサリウスは少ない兵を丘を利用して実際より多く見せかけ、兵に悠然と自信ある態度を振舞わせた。これを見たホスローの使者はベリサリウスの大軍をホスローに伝えた。
ホスローは10万を率いて攻め込んだ決戦において、勝てたとしてもこちらの被害は甚大だろうと判断し、ベリサリウスと和平を結ぶことにし、クテシフォンへ帰還した。
(当時の10万人規模の戦いは総力戦です。これほどの規模の戦いで消耗すれば立て直すのはかなり大変です。聡明な王は今後のことも考え、兵をひきました)
こうして、ベリサリウスは一兵の血を流すこともなくペルシアからの防衛に成功したのだった。

※ヒエラポリスは現在世界遺産に指定されてるようですね。
世界遺産であるヒエラポリスについては、wikipediaをご参考に。
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