スポンサーサイト::スポンサー広告 東ゴート戦争(翻訳)::歴史雑学

東ゴート戦争(翻訳)

-------- ; スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Entry Status
New >>
東ゴート戦争(翻訳) その2
<< old
ベリサリウス(翻訳)

2008-07-17 ; 歴史雑学

アーカントスさんが16世紀のラヴェンナの戦いについて記事を書いています。今回の翻訳の流れとして先にイベリア戦争、対ペルシャ戦争(ダラ・カラコルム)、ヴァンダル戦争を書こうと思ってましたが、東ゴート戦争を翻訳したいと思います。
この戦争は535~554年と6世紀に起こった戦争ですが、この戦争からおよそ1000年たったラヴェンナでの戦いを書いたものがアーカントス提督の16世紀の戦い(ラヴェンナの戦い)となります。

翻訳するだけでは時代背景や東ゴート王国のすばらしさが伝わらないと思いますが、空気読まずに翻訳します。

●ゴート戦争(第二次 535-554)Gothic Wa
ゴート戦争は東ゴート王国とビザンツ帝国の間でコルシカ・ダルマチア・シシリア・サルディニアなどのイタリア各地で起こった一連の戦争。(535-554年)
一般的に二つの期間に分けられる。
最初の期間(535-540)は、ローマによってラヴェンナが陥落するまでの期間。
次の期間(540/541-553)は、ゴート族の抵抗勢力がトティラの元結集し、ローマのナルセスと長い戦いに突入した期間。この戦いの間にはフランク王国のイタリア侵攻もあった。(554年)
そのため、北イタリアの多くの都市は560年代には荒廃した状態に陥った。
ゴート戦争の原因はユスティニアヌス帝による「西ローマ帝国の再興」の野望から来ている。
(前世紀に西ローマ帝国は東方の蛮族(ゲルマン民族)の進入を受け滅亡した。)
長く続く戦争は、イタリア諸都市を破壊し人口の減少を招き、皇帝の資源(人・物・金)も枯渇した。
だから、勝者である東ローマ帝国はランコバルト族の侵攻を防ぐことができなかった(568年)。
ランコバルト族によってイタリア半島のほとんどの部分を失うことになった。

・戦争背景・原因
東ゴート王国の成り立ちと西ローマ帝国の滅亡、オドアケル・テオドリックについて書かれていますが、この翻訳ではこの部分を飛ばします。
◆ユスティニアヌスの野望
533年にヴァンダル王国のお家騒動を利用してユスティニアヌスは、当時東ローマ帝国でもっとも軍事的才能をもっていたベリサリウスをヴァンダルに派遣した。ヴァンダル戦争は思いがけずローマの完全勝利に終わり、ユスティニアヌスの「西ローマ帝国の再興」を勇気つけるものとなった。
この戦争の間、アマラスンタ(東ゴート王国の女王)はシチリア島沿岸にローマ船団が停泊することを許可した。ユスティニアヌスは彼の代理人(使者)をとおして、アマランタの命を守ろうとしたが、彼の使者はぜんぜん役に立たなかった。
彼女が暗殺されたことによって、ユスティニアヌスが戦争を起こすための障壁はすべてなくなった。
歴史家プロコピウスは
「ユスティニアヌスはアマランタのやってきたことを知るとすぐに9年間に渡る戦争に突入したのだ」
(おそらくこれは、ヴァンダル戦争のことを言っていると思います。アマランタがローマに忠誠を誓っていると分かると安心してヴァンダルに攻め込んだということでしょう。ヴァンダルは北アフリカ、東ゴートはイタリアです。シチリア島でお互いの領土が接しています。)
ダルマチア(イタリア諸都市)でマンドス将軍が戦争を行っている間、ベリサリウスは対東ゴート最高司令官に任命される。(与えられた兵はたった7500人)
対ヴァンダルの兵力と比べたとき、ベリサリウスは今回の兵力はあまりに少なすぎると気づかされる。
(東ゴートはヴァンダルよりはるかに強いのに・・・)
戦争準備はユスティニアヌスがフランクに貢金を送っている間秘密裏に行われた。
※補足
アマラスンタは東ゴート王テオドリックの娘。テオドリックには息子がおらずアマラスンタが跡を継いだ。(実際はアマラスンタの10歳の息子の摂政として実質政治をとりしきった)
テオドリックの親ローマ元老院(旧ローマ帝国の官僚ですね)を継続していた。
国内にはもちろん反ローマ元老院派がいっぱいいて、彼らを暗殺したりして王国を維持した。(途中、東ローマに亡命したりした。)
東ローマ、旧西ローマ帝国の元老院とは蜜月関係にあり、東ローマ帝国との同盟の継続交渉をしている最中に息子がなくなったため女王として即位。しかし、反対派のテオダハドにクーデターを起こされ幽閉される。幽閉先で彼女にうらみをもつ者に暗殺される。
東ゴート王国が生き残る道はイタリア人口の大半(94パーセント)くらいを占めるラテン(ローマ)人との融和が必要と考え、東ローマ帝国には臣下の立場を取る。この政策はテオドリックが進めたもので、当時のイタリアはローマ人とゴート人の穏やかな融和が行われ、東ゴート王国による統治は成功していたといえる。

長くなったので分割します。
次回はここから、
・ベルサリウスのゴート征服(535-540)
関連記事
Entry Status
New >>
東ゴート戦争(翻訳) その2
<< old
ベリサリウス(翻訳)

Comment

Post a Comment









管理者にだけ表示を許可

Trackback

http://dolmeke.blog11.fc2.com/tb.php/923-b85f0f3f

歴史ファンの大航海時代 Home | Page Top▲

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。