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鉄の皇帝バシレイオス物語 その6

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鉄の皇帝バシレイオス その5

2007-07-11 ; 人物列伝

ヨハネス帝ほど人使いの荒い皇帝も珍しい。帝は能力の限界まで搾り出すことを常に要求した。
【ミルミル・ハミール著「回顧録」より】



969年ヨハネスは、ヨハネス1世ツィミスケスとして即位する。このときバシレイオスは11歳にまで成長していた。
ヨハネスは愛人関係にあった皇妃テオファノと結託して叔父であるフォカス帝を襲撃し暗殺する。そして皇帝に即位したわけだが、ヨハネスのテオファノに対する態度は厳しいものであった。自身を皇帝になるきっかけを与えてくれたとはいえ、本質的にヨハネスは権力欲の強すぎるテオファノを受け入れることはできず、またこのままテオファノを置いておいては今度は自分が暗殺されるかもしれない危惧もある。一度あることは二度ある・・。しかも、テオファノにはその資質が充分あった。
また対外的な理由として、戴冠式を執り行う総主教は、暗殺者を皇帝にすることはできないとヨハネスの戴冠を拒否した。
これらの理由から、ヨハネスはテオファノに罪を着せ(都合のいい理由が見つかったというところだろう。彼ほどの権威があれば無理に戴冠はできたはずだ)、コンスタンチノープル沖のプリンキポス諸島へ島流しさせた。その後、しぶとくテオファノはプリンキポス諸島を脱出し、コンスタンチノープルに戻り、ヨハネスの庇護を求めるが、ヨハネスの態度は一貫して彼女を受け入れるつもりはなく、テオファノを再び流刑に処した。
皇帝になるにあたってヨハネスのした行為はお世辞にもいいものとは言えず、むしろ簒奪者そのものであった。しかし、彼は皇帝になると周囲の期待以上の能力を発揮する。
先代フォカス帝の拡大主義を受け継ぐとともに、外交面でも彼は優れた才能を見せる。フォカス帝が夢見た周辺諸国との抗争の終結。これは同じくヨハネスも考えるところであったのだ。
ヨハネスは、超実力主義の人事を敷く。身分が高かろうが低かろうが、能力のあるものを国の重要ポストにつける。当時最も重要だった軍部を見てみると、ビザンツ最強と謳われた剣豪シカカーク・ロクツノを教育係から一気に将軍へ格上げ。コンスタンチノープル大学教授であり戦略論の専門家プブリウス・ルヴァを将軍へ徒用。
この二人は、ヨハネスの戦争において大活躍し、名将と言われるようになる。
では、ヨハネスの実績を見てみよう。
最大の功績は、キエフ大公国ルーシ(キエフの王の意)スヴャストラフ1世を打ち破り、ブルガリア東部(バルカン半島部)を征服したことだろう。スヴャストラフについては下記で述べることにする。
他には、イタリア半島で紛争していた東フランク(神聖ローマ)オットー二世に対し、婚姻政策を持ちかけ、彼らと和平することに成功。
余談ではあるが、オットー二世は当時ビザンツ影響下であったイタリア南部に遠征するものの、シチリアから北上してきたイスラム教徒に敗れてしまう。当時のイスラムは西欧諸国のかなう相手ではなかったことを痛感させた事件であろう。
そのイスラムに対してもビザンツは攻勢を見せる。イスラム勢力に対し北メソポタミアを占領。そしてエルサレムが見える位置まで勢力を広げたのだ。
輝かしい実績を残しながらヨハネスは976年に病没する。まだ49歳という若さであった。一説には暗殺されたとの噂もあるが真偽のほどはわかっていない。しかし、暗殺をしたとしてその後実権を握った人物もいないことから暗殺の線は薄いというのが有力である。

・・・下記で述べれなかったです・・。次回・。
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