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鉄の皇帝 バシレイオス物語 プロローグ

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鉄の皇帝バシレイオス物語 その1
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2007-07-02 ; 人物列伝

ビザンツ帝国は、かつての威光を完全に失いつつあった。ヘラクレイオスの時代にイスラムが勃興して以来、まずはシリアにおける威光を失ったビザンツは、聖像破壊運動で西欧諸国と険悪になり、重税でイタリアなど領内の離反も続いていた。
帝国財政は火を噴き、立て直す君主が現れようとも次の愚弟が使い果たし、帝国財政は安定することはなかった。
それに加え、地理的に敵国に常に囲まれる形になったビザンツは、慢性的な対外不安を抱えていた。
ヘラクレイオス朝からイサウリア朝をへてアモリア朝に至るまでの2世紀に渡って帝国とは、過去のローマの栄光にすがるだけの小国と成り果てていたのだ。
そんな帝国に復調の兆しが見えたのは、バシレイオス一世によるクーデターの成功からである。
バシレイオス一世は、アモリア朝の最期の皇帝ミカエル三世を廃し、自ら皇帝となった。このアルメニア農民出身の皇帝は新時代とかつての威厳を夢見る民衆に受け入れられ(かつてのユスティニアヌス大帝も農民の出だったので、これとかぶせる民衆もいたのだろう)、期待にこたえるべく行動を起こす。
彼は国内で常に火種となっていた宗教問題の解決にあたり、結果的にさしたる功績を残せないものの、軍事面においては南イタリアを再度ビザンツ領に復帰させるなどの功績を残す。(シチリアは奪われてしまったが・・・)
こうして復調の兆しの見えたビザンツであったが、隣国バルカン半島のブルガリア、シリアのイスラム勢力に悩まされ、以後二人の皇帝は対外政策は完全に失敗。しかしながら、内政面・文化面での充実は著しく、この二人の皇帝は哲学皇帝と呼ばれている。
彼らの残した帝国財政の遺産が、たぐいまれなる軍事的資質を持った二人の皇帝によってビザンツの威光を対外的に示すことになる。

ここまでが、これまでのビザンツ帝国の簡単な歴史。ここから本題に入ることにしよう。

二人の皇帝の前に正当なバシレイオスの血を引くロマノス二世という皇帝がいた。
彼はマケドニア朝の君主として、皇帝になるのだが、在位わずか4年で急逸してしまう(わずか25歳という若さだった)。このとき後継者であるバシレイオスはわずか5歳。
これではビザンツをまかせることはかなわなかった。
そこで、皇后テオファノと、先のロマノス二世時代にイスラムからクレタ島を奪還した英雄ニケフォロス2世フォカスと正式に結婚し、バシレイオスと共同皇帝になる。
フォカスの軍事的才能は比類なきものであったが、彼は政治に関しては類を見ないほどおろかであった。重税につぐ重税に憤慨した民衆・・・。さらには、テオファノは戦争戦争の歳の離れたフォカスがあまり好きになれなかったらしく、軍人のヨハネスと浮気・・・・。
機を見たヨハネスは、フォカスを暗殺し、次代の皇帝となる。
ヨハネスもまた軍事的才能に恵まれており、帝国は拡大路線をつむぐことになる。彼は、イスラム勢力を打倒し、北方から強国ブルガリアを打ち破って進軍んしてきたキエフ公国スヴャトスラフ1世を見事な作戦で打ち破り、ブルガリア東部、メソポタミア、シリアを占領する。
シリア遠征の帰路でヨハネスは病死し、長年飾り物の共同皇帝であったバシレイオスは、バシレイオス二世として単独皇帝に即位。
こうして物語ははじまるのであった。

次回から物語がスタートしまっす。
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