北海の闘争 その9::国家の歴史
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北海の闘争 その9

2007-06-25 ; 国家の歴史

久しぶりに歴史記事二日連続です。

グスタフ・アドルフは自身のキャリアの中で、ヴァレンシュタイン率いる神聖ローマ帝国軍との決戦の最中陣中に没してしまいました。
彼がもし生きていたならこの勝利によって、スウェーデンは北ドイツに基盤が築けたかもしれません。
しかしながら、このアドルフの死によって、強欲すぎて手に負えなかったヴァレンシュタインは皇帝の手によって暗殺されてしまいます。
歴史にIFはありませんが、アドルフが生きていた場合再びヴァレンシュタインとの決戦が行われたかもしれません。

アドルフの施政においてスウェーデンの国力は一気に増しました。産業形態も彼の代で一変しています。アドルフは先進諸国オランダ・イングランドから技術者を招きいれたことは何度か述べました。そのおかげか、スウェーデンでは最終的に武器を輸出するまでになったのです。
DOL内においても、ストックホルムあたりで大砲が出てもいいのではと・・思ったりしてますが、北欧型○○という船は出てますね。

一方、スウェーデンの躍進に伴って衰退・方向転換した国も数多くあります。
衰退が決定的となった国は、ポーランド。すでに衰退期に入っていた東欧の大国は、スウェーデンとの消耗戦によって完全に国力を疲弊させます。この後周辺諸国に圧迫されながら、18世紀にはドイツ(プロイセン)・オーストリア・ロシアによって三分割され消滅してしまいます。
方向転換した国としてはデンマーク。デンマークは、スウェーデンを属国とする主権争を完全に断念し、バルト海の制海権もスウェーデンに譲ることになります。しかし、デンマークは海上貿易を主としたポルトガルのような国家に変貌を遂げます。大国との良好な同盟関係を結びながら今しばらく繁栄を謳歌します。
次に時代は下るのですが、三十年戦争後の神聖ローマ帝国。
三十年戦争の結果、神聖ローマ帝国は有名無実の国家となり、諸侯による独立国家共同体のような集合体になります。
この戦争の結果、ドイツとしてのアイデンティティはハプスブルクから離れ、ハプスブルクはオーストリアを中心とした巨大諸侯として存続します。(後のオーストリア・ハンガリー二重帝国)
残されたドイツでは、ブランデンブルク・ドイツ騎士団を中心とした新教諸侯がまとまり、プロイセンを形勢していきます。
三十年戦争にスウェーデンの後介入したフランスは、ハプスブルク家に対し完全に優位な立場に立ち、ヨーロッパ大陸では最大の国家となります。(イングランドは大陸じゃないですと強引に)

このようにして、スウェーデンが周辺諸国に与えたインパクトは計り知れないものがありました。あえてロシアには触れませんでしたが、この後の歴史においてロシアははずせない勢力であることはここに記しておきます。

長々とまとまらなくて申し訳ありませんが、これにて北海の闘争シリーズを完結いたします。
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