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北海の闘争 その8

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北海の闘争 その9
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2007-06-24 ; 国家の歴史

デンマークの敗戦後、ついに神聖ローマ帝国へ宣戦するスウェーデン。アドルフ閣下の最新鋭の軍隊が神聖ローマへ上陸します。
前回までの記事は、こちら

●ヨーロッパを震撼させたグスタフ軍
すぐ沈んだとはいえ、一級の戦列艦を世に送り出し、ヨーロッパに海軍力を誇示して見せたスウェーデンは、国内でもオランダ・イングランドを参考に最新鋭の兵器を製造・装備する。
一方、神聖ローマ帝国・ハプスブルク家は全体として、この時代最新鋭兵器に負け越している。テルシオを開発し、いち早く技術的優位に立ち、イタリアでフランスを破り、中米を征服したスペイン。
しかし、オランダ・イングランドの一歩進んだ兵器・帆船の前に最大の列強国であったスペインハプスブルク家は敗れる。
また、海外へ進出せず、国内の宗教戦争に区切りをつけ、リシュリュー・マザランといった名宰相の下、ヨーロッパ最大の国力をつけたフランス。
こうした背景もあった、スペイン・オーストリア(神聖ローマ)の両ハプスブルク帝国もこの時代にあって、絶対優位の立場ではなかったのだ。
それを踏まえた上でも、今なおハプスブルク家は、ヨーロッパでも屈指の列強国であっただろう。
神聖ローマ・ハプスブルクについて軽く触れたところで、本題のグスタフ閣下に話を戻す。
スウェーデンは、旧教国フランスから資金援助を受け、新教徒の解放という名目で、神聖ローマ帝国に宣戦する。(これは、ハプスブルク家の行き過ぎた専横に対してフランスが警戒したため。)
スウェーデンはまず、北ドイツにある自国領を安定すべくオーデル川流域をあっさりと占拠することに成功。
しかしここからが上手く進まない。スウェーデンの勢力強化を警戒する新教の諸侯(ザクセン公や後にドイツを建国するブランデンブルク辺境伯など)は、グスタフを快しとしなかった。そのため、スウェーデンはオーデル川流域を占領したものの、ここより先へ進むことができずにいたのだ。
しかし、形勢を一変する事件が起きる。
長年続く戦争で疲弊する神聖ローマ帝国軍は、食糧難に陥っていた。そして、こともあろうにマルデブルクという都市で掠奪・虐殺行為を行ってしまったのだ。そのため、同盟を渋っていた新教の諸侯らは、スウェーデンと同盟を締結する。
こうして、ようやくスウェーデンは神聖ローマ軍と戦端を開くことができたのだった。
そして、ライプチヒの北で両軍は激突する。この戦いは最新鋭の兵器を揃えたスウェーデン軍の圧倒的勝利に終わる。続く、レヒ川の戦いでもスウェーデンは神聖ローマ軍を完膚なきまでに叩き潰す。
神聖ローマ軍は、この敗戦で敗北より手痛い損失を受けている。先の戦いで活躍した名将ティリー伯がここで戦死したのだ。
優秀な指揮官を失った神聖ローマは、苦慮の末、強欲すぎて手に負えず総司令官を首にしたヴァレンシュタインを再び招聘する。
このときのヴァレンシュタインの神聖ローマに対する要求は、まさに強欲であった。
「軍の全権、和平交渉権、条約締結権の全面委任とハプスブルク帝国領と選帝侯領の割譲」(WIKIより)
この条件を受け入れ、神聖ローマにヴァレンシュタインは戻ってきたのだった。
しかし、いかに優秀な指揮官といえども、先の戦いとはかってが違っていた。というのは、兵士の質である。前回、ヴァレンシュタインは自らの私兵を持って神聖ローマに協力し、最高司令官の地位を得たとあった。彼の私兵はよく訓練された上等の兵士たちであったが、今回ヴァレンシュタインが率いた兵は、神聖ローマの脆弱な兵士・装備であったのだ。
このような不利がありながらも、最新鋭の装備で固めたスウェーデン軍にヴァレンシュタインは戦端を開くのである。
リュッツェンで両軍は激突し、26000の神聖ローマ軍に対し、スウェーデン軍は16000であったが、この時代の戦争になると、問題となるのは数ではなくなる。装備の質と戦術と指揮官の能力だ。
戦争当日、リュッツェンは濃霧に覆われており、視界がかなり悪かった。グスタフ率いる右翼は神聖ローマ軍を圧倒し、中央の軍は当初神聖ローマ軍を押し込んでいたものの、ヴァレンシュタインがかけつけ、戦線を押し戻すことに成功。これを見たグスタフは、中央の軍の救援に向う。その途中、軍とはぐれてしまったグスタフは、濃霧の中、敵騎兵に撃たれ、乱戦に巻き込まれ戦死してしまう。その後、この戦いは最終的にスウェーデンの勝利と終わった。(正確にはこの戦いを表現してません。実際にはこの戦いはかなりの激戦で、一進一退の攻防が繰り返されていました。)

こうして、スウェーデンを強国に導いたグスタフは、自身の最盛期に戦死してしまうのです。
まとまりきらなかったので続くかも・・・・。
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しばらくおまちください。

Comment

ハミルカル : 2007年06月25日(月) 08:22 URL edit
先進性・火器運用の戦術・中央集権・時代(50年ぐらいしか違わない)・そして途上での死といった点では、よく言われるように確かにちょっと信長とかぶるイメージがあり、『もしここで死ななかったら』なIFを考えさせられる一人ですね。
勝ちすぎて逆に大国に警戒され破滅に向かうのか、そこをうまく外交でかわすのか、内を固めに入るのか、シミュレートすると実に面白い岐路に立っていたと思います。
めけ : 2007年06月25日(月) 09:21 URL edit
ハミルさん>>
世界に与えたインパクトは信長より高いかもしれないですねん。
ともかくまとまらなかったので、あと一回かな・・。
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