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北海の闘争 その7

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2007-06-19 ; 国家の歴史

ポーランドとの抗争にくぎりをつけたアドルフ閣下の次の目的地は、北ドイツにあるスウェーデン領の安定でした。
前回までの記事は、こちら

●スウェーデン再び参戦する
ドイツ三十年戦争の第一ラウンドである、ボヘミア貴族の叛乱は神聖ローマ皇帝フェルディナンドによって静められた。
しかし、その後の対応が悪く、露骨に勢力拡大+プロテスタント排除のオーストリア・ハプスブルク家フェルディナンド(神聖ローマ皇帝フェルディナンド)に反発は必死の情勢であった。
こんなおり、長らく空位になっていた司教区にデンマーク王クリスチャン4世(プロテスタント)が息子を帝国内の司教職に就けるようフェルディナンド(カトリック)に要望したところ、それを露骨に断っただけでなく、先の戦いで活躍したティリー伯をザクセンに進駐させたのだ。
これに対し、デンマークはフランス・イギリス・スウェーデン・オランダの支援を受け、1625年にドイツに介入する。(当初はスウェーデンと共同で介入したのだが、犬猿の仲である両国の連携は上手くいかずに、スウェーデンは手を引き、ポーランド紛争に当たることになった。)
イギリスの資金提供を受けたデンマークは、著名な傭兵隊長二人を雇い入れ(ブラウンシュバイクとマンスフェルト)、プロテスタント側として参戦する。
デンマークの参戦によって、常備軍だけでは対応不可能と見るや、火を噴いている国庫を気にしているわけにもいかず、フェルディナンドはこちらも傭兵隊長ヴァレンシュタインを雇い入れる。(ヴァレンシュタインは国庫が不足している神聖ローマに対し、私兵を提供し、総司令官に任命されている。)
戦争がはじまってみると、プロテスタント側は、デンマーク王と二人の傭兵の間で意見がまとまらず、結局三者が別々の指令権の元に行動するというとんでもない愚挙にでる。
これに対し、ティリー伯がデンマーク王を破り、ヴァレンシュタインが傭兵隊長二人を破って、デンマークは守勢にまわる。
ティリー伯とヴァレンシュタインの勢いは止まらず、デンマークの申請ローマ帝国領であるポンメルンなどを占領しただけでなく、デンマーク本土にまで上陸・蹂躙。
これで窮地に陥ったデンマークはプライドを捨てスウェーデンに助けを求める。アドルフはこれに答え、デンマークとスウェーデンの同盟が成立し、からくも神聖ローマ帝国軍を退けたのだった。
こうして、デンマークと神聖ローマの間で和約が成立し、デンマークの三十年戦争は終わった。
次にいよいよスウェーデンの三十年戦争への介入が行われるのだ。

次回でおそらく最終回。
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