北海の闘争 その6::国家の歴史
FC2ブログ

北海の闘争 その6

2007-06-17 ; 国家の歴史

忘れたころにやってくる歴史シリーズ。本人もあまりに昔に書いたため、話に整合性がないかもしれないです。そのへんは生暖かく見守ってください。
前回分までをまとめた記事は、こちら

●アドルフ閣下ポーランドと勇戦す
ドイツ三十年戦争についてここでは深く語ると、全く別の話になってしまうので、三十年戦争については、断片的に触れることにする。
ドイツ三十年戦争のきっかけは、この時代のヨーロッパにありがちなプロテスタントを認めた先代の王の後に熱狂的なカトリック教徒の王が王位につき、プロテスタントを弾圧するというよくある流れから始まる。
フス戦争の後、プラハではプロテスタントとカトリックの妥協が行われた。(時代的には、このあたりがフス戦争のことを書いてます。以前にも言った気がしますが、フス戦争についてはいずれ書きます。)
そこに熱狂的なカトリックの王様フェルディナンド二世がボヘミア(プラハのあるとこです)王につき、プロテスタントを弾圧し始める。
さらに、彼が神聖ローマ皇帝になるとボヘミアの反フェルディナンド派は危機を感じ、ボヘミアにフリードリヒ五世というプロテスタントの王を立てる。
もちろん、黙っていないフェルディナンドは自身のオーストリア・ハプスブルク家の権威を元に、カトリック諸侯であるスペイン・ハプスブルク家、バイエルン公などを味方につけ名将ティリー伯(甲冑をまとった修道士という異名を持つ)を司令官にボヘミアに攻め込む。
これに対し、ボヘミア諸侯連合はたいした味方もつけることができず、
大敗し、フリードリヒ五世は廃位となった。
この後にハプスブルク家の対応がまずく、戦争はこれで終わらず長期化することになってしまう。
1624年フランスの名宰相リシュリューは、やりすぎ感があったハプスブルクに警戒を強め、反ハプスブルク同盟を呼びかける。これに、イギリス・オランダ・スウェーデン・デンマークが参加する。
この結成のため、グスタフは先のポーランドとの戦争を中断したのだ。
しかし、禍根がありすぎるデンマークとの同盟はうまくいくはずがなく、スウェーデンはドイツ三十年戦争から一旦手を引く。(この後、デンマークのクリスチャン4世は三十年戦争に介入する。そして敗北する。戦闘経過については、この記事の最後にでも。)
前置きが長くなったが、三十年戦争から手を引いたスウェーデンはポーランドとの戦いを再開する。
1625年リガのあるリヴォニアに再び侵攻し、今回もあっさりポーランド軍を撃退してみせた。しかし、ポーランドはこの敗戦でも引き下がらず、戦局はポーランド本土決戦と推移する。
当時ポーランド領であった東プロイセン(ダンチヒあたり)に進軍したスウェーデン軍は、ここでもポーランド軍を敗走させる。
このままスウェーデン軍の進撃が続くものと思われたが、バルト海南方での海戦(オリバの海戦)でスウェーデン軍は敗退し、戦局はスウェーデンが攻勢なものの膠着化する。
このような状況で、両国民は長年の戦争に対し不満を募らせ始める。これに対し、グスタフはポーランドに対し自己の王位継承問題(これについては、過去記事のほうを見てください。)に、区切りをつける形での停戦が可能となっていたので、両国は停戦することになる。

次回へ。
関連記事
Entry Status
New >>
アップデートに期待する地域アンケート
<< old
ドラゴン桜で知ったこと

Comment

Post a Comment









管理者にだけ表示を許可

Trackback

http://dolmeke.blog11.fc2.com/tb.php/774-d742213e

歴史ファンの大航海時代 Home | Page Top▲