サラミス海戦::歴史雑学
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サラミス海戦

2005-07-31 ; 歴史雑学

三国祭りのオールスター戦にいってきました!運営者の皆様、そして、参加した全ての皆様お疲れ様でした。大将軍様が愛されまくっていたのが印象的でした。
これに刺激を受け、歴史ファンでも海戦を書いてみたいと思います。今回書くのは、サラミス海戦です。アテネとペルシアの間で行われた有名な海戦です。

●サラミス海戦前夜
マラトンの戦いが前490年に、アテネとアケメネス朝ペルシアの間で行われ、アテネは奇跡的な勝利を飾った。そして、アケメネス朝ペルシアのダレイオス一世が亡くなると、次のクセルクセスは再びギリシャ遠征に赴く。
それを迎え撃ったのが軍事ポリス「スパルタ」であった。しかし、味方の裏切りにあい、敗走してしまう。これが悲劇の追悼で有名な、テルモピレーの戦いであった。
テルモピレーの戦いの後、ペルシア軍はほぼ無抵抗でアテネのアクロポリスを占領する。
無抵抗だったわけは、アテネ市民は「テミストクレスの決議」に従って、アテネ南のサラミス島に疎開していた。
サラミス島に疎開したわけは、テミストクレスの対ペルシア戦術を採用したからである。
軍船の数で圧倒的に劣るアテネが、まともに海戦をすれば、敗北は目に見えているので、海路の狭いサラミス島へペルシア軍を誘い込むために取られた戦術だったのだ。
そして、テルモピレーでは内通者が出て敗戦したのだが、今度は偽の内通者をペルシアに送り、「アテネはサラミス島から撤退しようとしている」と偽の情報を流し、見事、ペルシアを狭いサラミス海路に誘い込むことに成功する。
こうして、前480年、サラミス海戦は幕を開ける。

●サラミス海戦
アテネ軍(コリントと連合していた) 軍船380隻
ペルシア軍 軍船750隻
サラミス海路に侵入したペルシア軍の先頭をアテネの伝令船が発見すると、すぐさま、その旨をアテネ・コリント連合軍に伝令した。
今回は、偽の内通者を使ってペルシア軍をここに誘い込んだアテネ・コリント連合軍(以後表記をアテネ軍にします)は、すでに迎撃体勢は万全で、ペルシア軍の先頭に戦いを仕掛け、サラミス海戦は幕を開ける。
狭いサラミス海路に入ったペルシャ軍は、海路の入り口と海峡を構成している両側の島の封鎖に取り掛ろうとする。
それに対し、アテネ軍は巧妙に戦線を後退させながら、海路の奥へとペルシャ軍を誘い込む。
先頭のペルシア軍が封鎖予定地点を越えて飛び出したため、ペルシア軍は海路の奥まで行軍してしまう。それを見たアテネ軍は反転し、攻勢に転じる。
ペルシア軍もアテネ軍を撃退しようとがんばるが、海路の奥まで誘い込まれてしまったため、船同士が過密に集まり、反転しようとすると、船同士がぶつかって沈んでしまうほどだった。
こうした状況のため、ペルシア軍は大混乱に陥り、いいようにアテネ軍に叩かれ、大敗北を喫した。
こうしてアテネ軍は、倍以上のペルシア軍をまたしても撃退したのであった。

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