北欧の闘争 その3 アドルフの野望 ::国家の歴史
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北欧の闘争 その3 アドルフの野望 

2007-05-19 ; 国家の歴史

いいかげん書けと視線が痛いのでそろそろ重い腰を上げます。
前回海上帝国について見てみました。その際にもスウェーデンのグスタフ・アドルフについては何度か出てきました。

●スウェーデンという国
スウェーデンはデンマークとの争いの敗北によって、カルマル同盟に組み込まれた。このくびきを脱すまで、スウェーデンという国名はあるが、独立国家ではなかった(グスタフの家系ヴァーサ朝時代に独立を果たす)。
スウェーデンで有名な王といえば、バルトのライオンことグスタフ・アドルフとナポレオン時代のフランスの名将ベルナドットが即位したことで知られるカール14世ヨハンの二人だろうか。ナポレオン時代を語るのはこのブログの趣旨に反するので、語ることは今後ないと思われる。
前置きが長くなったが、主題を・・・。


簡素だが、しっかりとした外観で歴史ある建物とはっきり分かる洋館に出迎えてくれたのは、品のいい執事風の初老の男性だった。
彼は、私に上品な紅茶を淹れながら、グスタフ・アドルフのことについて語り始めた。

お久しぶりです。ハミールでございます。今日はアドルフ閣下のことについて聞きたいということでしたな。
バルトのライオンやら獅子王といわれた閣下は、世間では名君といわれております。フリードリヒ陛下(参照はこちら)とは比べようもなく知名度も高い方でございます。
アドルフ閣下は、幼少のころから聡明・天才肌な方でした。なんと9ヶ国語をマスターし、それぞれが支障なく話せるレベルだったのですよ。(陛下と比べると・・・)9歳にして公務をこなし、15歳には議会での演説までこなしておられます。
病気がちだった父が亡くなると、スウェーデン王として即位します。このときわずか17歳。

※この時のスウェーデンの対外状況を簡単にまとめておくと
◆対デンマーク
デンマークとは、ヴァーサ朝(グスタフはヴァーサ朝6代目)の初代グスタフ・ヴァーサはカルマル同盟を脱し、独立したため、デンマークはスウェーデンの地を失っていた。
ここからはさらに余談。グスタフ・ヴァーサは、元々スウェーデン独立派の貴族で、デンマーク王によるスウェーデン人の粛清(ストックホルムの血浴)が起こると、農民と共に蜂起し、これが成功する。その後スウェーデンは独立を果たし、彼は摂政に選ばれるが、その後国会より国王に選出される。こうしてヴァーサ朝時代が始まったのだ。
◆対ポーランド
ポーランドとは、同じヴァーサの血を引く王が就いていた。ヴァーサ朝代3代目ヨハン三世の息子ジギスムントは、ジグムント三世としてリトアニア・ポーランド連合国で即位。1592年にはスウェーデン王として即位。そして、宗教的な問題でスウェーデン本国と対立(ポーランドはカトリック。スウェーデンはプロテスタント)、そこで元摂政カールとの争いに敗れ、ポーランドに帰国。1599年にはスウェーデン王位を剥奪される。その後スウェーデン・ポーランド戦争終結までスウェーデン王位を主張する。
◆対ロシア(モスクワ大公国)
ポーランドとスウェーデンが歩み寄った原因はロシアにあった。ロシア
とリヴォニア戦争(これもいずれは書きます。今回書いた方がいいのかも)の際に同盟し、後のジグムント三世の選出につながる。
ロシアはこのころ大動乱時代という時代にあたり、政情が非常に不安定だった。これに介入したポーランド・スウェーデンと争うことになる。

長くなったので、ハミールが語りはじめたとこですが、ここで一旦きります。
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Comment

ハミルカル : 2007年05月21日(月) 06:21 URL edit
初代のヴァーサ自身、かなり面白い人生歩んでいる人なんですよねえ。
まだまだ人口少ない小国の段階ですが、建国の祖となるとそれなりにアツい部分と権謀術数も両方必要なんだろなあと思わされます。
めけ : 2007年05月22日(火) 00:38 URL edit
ハミールさん>>
彼はいまでいうクーデターを成功させて国王になった人ですね。興味深いのはヴァーサ朝時代に一瞬であれ、ポーランド・リトアニア連合国とスウェーデンが一緒の王になったことが興味深いっす。
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