オスマン帝国 その2::国家の歴史
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オスマン帝国 その2

2005-07-25 ; 国家の歴史

さて、前回はメフメト二世がビザンツ帝国を滅ぼしたとこまで追ってみました。
メフメト二世がビザンツを滅ぼしたのが1453年で、かなり大航海時代に近づいてきましたね。
では、続きをどうぞ。

●大航海時代のオスマン=トルコ
メフメト二世はビザンツを滅ぼしたあと、バルカン半島(アテネ地域)や黒海沿岸を支配し、「征服王」と呼ばれ、さらに、メフメト二世は法典の整備、学芸を保護・推奨し、オスマン帝国の大発展のきっかけを作る。
8代目バヤジット二世(1481-1512)は凡庸なスルタンであったために、子供のサリム一世にスルタンの座を取って代わられる(1512年)。
サリム一世(1512-1520)は、ポルトガルがゴアを占領(1510年)など西ヨーロッパが外に目が向いている間に、新興国家のサファビー朝から、メソポタミアと小アジア東部を奪い(1515)、翌年にはシリアを、そして、1517年にはマムルーク朝を滅ぼし、エジプトを併合する。
この辺が、大航海時代オンラインと現実の歴史の相違が見られる。
■大航海時代オンラインでは・・
マムルーク朝艦隊がいる。
アレクサンドリアはオスマンの領地。
カイロは領地ではない。
■現実世界では
1517年にマムルーク朝が滅んでいるので、アレクサンドリアが領地化すると同時に、カイロも領地化する。それにともない、マムルーク朝艦隊も姿を消す。
この当時の西地中海についてはハイレディン=バルバロッサを参照に。

●エジプト併合後のオスマン帝国
サリム一世がマムルーク朝を滅ぼしたことによって、マムルーク朝が保護していたアッバーズの血をひくカリフを追い出すことになる。そのため、以後オスマンスルタンがカリフを兼ねることになる。これをスルタン=カリフ制というが、実際にもちいられたのは18世紀以降らしい・・。
そして、10代目スレイマン一世(大帝、1494-1560)が1520年に即位。彼の代にオスマン帝国は最盛期を迎える。
彼は、バルカン半島(アテネの地域)と国境を接するハンガリーに攻め込み、モパッチの戦い(1526)でハンガリー王を敗死させる。そのままの勢いで、神聖ローマ帝国(オーストリア)に攻め込む。
オーストリアは当時、ハプスブルク家(神聖ローマ皇帝を兼ねていた)が支配するヨーロッパでも屈指の強国であった。
スレイマンはその大国オーストリアの首都ウィーンを包囲(1529)。オスマン帝国はウィーンを落とすことはできなかったものの、ヨーロッパ地域を震撼させるには充分な実績を残す。
また、スレイマンは、神聖ローマ皇帝カール5世を牽制するために、フランス王フランソワ一世と手を結ぶ。
1528年にはプレヴェザの戦いでハイレディンの活躍もあり、スペイン・ヴェネチア・ローマ教皇連合軍を破る。このあたりについては、ハイレディン=バルバロッサを参考に・・。

ともかく・・1510-1530年あたりを舞台にしているゲームにおいては、オスマン帝国は超大国で、当時の強国であったスペイン・フランスであってもまともに戦うことを避けた相手であった。

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