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アユタヤ交易圏

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アユタヤ交易圏 その2
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2006-12-19 ; 国家の歴史

東南アジアが実装されました。今回は、大航海時代にはヨーロッパ諸国・中国・沖縄などとの積極的な貿易で繁栄したタイのアユタヤ王朝について見てみましょう。

●タイの歴史
かなりはしょってタイのここまでの歴史を述べる。
タイ人は元々、中国の雲南・四川あたりに居住していたが、8世紀ごろから南下が始まり、モンゴルの侵入によって居住地域をさらに南下し、現在のタイと呼ばれる国の辺りに定住した。最初はタイ北部に定住し、真臘という国に服属していたが、この国の要所スコタイを攻略し、最初の統一王朝であるスコタイ王朝を建てた。
スコタイ朝(1257~1350年)は、第三代ラーマ=カムヘンの時に最盛期を迎える。彼はタイ史上最も優れた王といわれ、タイ文字を作成するなど文化面でも多大な功績を残す。
スコタイ朝の晩年に、この国の有力は封建領主であったラーマ=ティボディは、アユタヤで勢力を拡大し、スコタイ朝の衰退に乗じてアユタヤ朝を建てる。
アユタヤ朝(1350~1767)は、スコタイ朝の領有していた領土のほとんどを支配下におさめ、さらに勢力を拡大する。1432年には真臘から
アンコールを奪い取り、15世紀全般にわたって栄えることになる。
しかしながら、ビルマで勢いのあるトゥングー朝が成立すると、どんどん圧迫を受け、ついに1569年に首都アユタヤを奪われる。それからしばらくの間、アユタヤはビルマに臣従することになる・・・・。
ここで終ってしまっては、大航海時代にはとてもじゃないが強力な交易国家にはなりえない・・・。
この危機に、ナレースエン大王が現れ、首都アユタヤからビルマを追い出し、再びアユタヤは繁栄期に入る。
こうして、アユタヤの繁栄期は1世紀に渡ることになるのだった。

余談ではあるが、このころのタイに日本人が訪れている。1612年にタイに渡ったといわれている山田長政が代表例だ。
彼の時代に日本人街の人口が1500人に達したらしい。また、彼はこの地で領主の地位を与えられるが、政変によって暗殺されている。

だいたいこの時代が、17世紀にあたる。と・・ここまでの歴史を書いているとやたら長くなってきたので、メインは次回でーー。
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