オランダの独立::国家の歴史
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オランダの独立

2005-07-18 ; 国家の歴史

さて、新国家導入の前にオランダの歴史をみておきましょう。

●フランドル地方とネーデルラント
ネーデルラントとは「低い地域」オランダ・ベルギー・ルクセンブルクを中心とする地方。
フランドル地方とはネーデルラントの一部地域で、現在のベルギーを中心とする地域でオランダの大部分を含む。
また、世界史の教科書などを読むと、フランドル地方やネーデルラントと表記が異なるが、ほぼ同じ地域をさしていると大雑把に考えても問題ない。
このフランドル地方は古くから毛織物産業で栄え、イングランド、フランス王、ブルゴーニュ伯、ハプスブルク家と所有者は入れ替わり、各国が領地にするために激しい抗争を繰り返した地域でもあった。

●ネーデルラントとキリスト教
カトリックは、キリスト教の一派で、いろいろ派閥はあったが、一言でいうと、ローマ教皇を中心とした伝統的なキリスト教徒で、以下の特徴を持つ。
<カトリックの特徴>
1、古くからあるカトリックは、多くの教義を持つが、教義自体は厳しいものではなく、寛容であった。
2、商業はいやしいものとされ、積極的に推奨はしていない。

これにたいし、ルターやカルヴァンが大航海時代の頃に布教し始めた新教徒(ピューリタン)は、カトリックを批判し、商業に対して寛容であった。そのため、ドイツ騎士団をはじめとした、新興国・新有力者が勢力を拡大するために利用された他、商業の発達した地域で信仰されることになる。ネーデルラントの北部7州はほとんどが新教徒に改宗していた。また、南部10州は従来の旧教を信仰していた。
両地域ともに、商業の積極的な地域であったが、ルターやカルヴァンの新教徒は、ゲルマン系民族が起こしたものであり、旧教徒はラテン系(フランス・イタリアなど)が中心に信仰されたいたので、ゲルマン系の北部は新教徒、ラテン系(フランス)の南部は旧教徒となった。

●オランダ独立戦争
1477年に血縁関係により、フランドル地方はハプスブルク家が領有する。ハプスブルク家が神聖ローマ、スペインの両地域で国王を出し、スペイン王カール5世の死後、フランドルはスペイン王フェリペ二世の支配下に置かれることになる。
フェリペ二世は熱狂的なカトリック教徒で、新教徒を弾圧する政策を断行する。この政策はネーデルラントにもおよび、ネーデルラントの自治権を剥奪するとともに、重税を課した。これに対し、ネーデルラントの民衆は、教会を襲い、製造を破壊するなどの報復行為に出る。
それに激怒したフェリペ二世は、アルバ公を派遣し、新教徒を徹底的に弾圧することを決定。そして、アルバ公は、1567-1573年にわたって、残酷な宗教裁判と重税によって、新教徒を徹底的に弾圧した。
この弾圧に対し、オランダのエグモンド伯が、オラニエ公やホルン伯とともに、ネーデルラントの独立を訴えるが、エグモンド伯はホルン伯とともに捕らえられ、処刑されてしまう(1567)。
これをきっかけにして、ネーデルラント中の民衆が怒り狂い、オランダ独立の気運が高まる。
そしてついに、先のエグモンド伯の独立運動の生き残りであった、オラニエ公ウィレム(英語読みでは、オレンジ公ウィリアム)を指導者として、オランダ独立戦争が開始される(1568)。
当事、超大国であったスペインは、大軍をオランダに派遣して、次々に都市を攻略し、破壊と略奪を行ったが、ネーデルラントは堤防を破壊するなどの防衛行為をとり、ライデン市では、スペイン軍を撃退するなどの活躍をみせる。
さらに、新教徒の弾圧で国外に逃れていた、カルヴァン派新教徒は、イングランドの援助を受けながら、「海のゴイセン(ゼー=ゴイセン)」を結成し、スペイン船舶に対して、ゲリラ活動を行う。
そうして、オラニエ公はネーデルラント全州を結集し、対スペイン同盟を成立させる(1576)しかし、スペインは旧教徒の多かった南部10州を懐柔し、戦線を離脱させることに成功(1579)。
和平した南部は北部独立後もスペイン領として留まり、1830年にベルギーとして独立することになる。
南部が離脱するも、オラニエ公は北部7州でユトレヒト同盟を結んで(1579)、スペインとの抗争を続け、1581年にネーデルラント連邦共和国(オランダ)の独立を宣言した。
あきらめきれないスペインは、オランダが独立した後も、オランダに対し軍隊を派遣する。特に1585年には当事世界一の港であったアントワープを占領・破壊した。このため、アントワープにかわり、アムステルダムが政治・経済・文化の中心地となっていく。
スペインはイングランドにアルマダの海戦で破れ、フェリペ二世が没すると、戦争継続の意志をなくし、1609年にオランダとの休戦条約を結ぶ。これによって、オランダは実質独立するのだが、国際的に承認されるのは、1648年のウェストファリア条約であった。

●オランダの最盛期
16世紀末から、17世紀末までの間に最盛期を向かえ、わずか100年の間であるが、世界最強国として、君臨する。

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