スポンサーサイト::スポンサー広告 パレンケ神殿::発見物関連

パレンケ神殿

-------- ; スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Entry Status
New >>
大英帝国の野望
<< old
ご連絡

2006-10-30 ; 発見物関連

さて、ブログをぼーっとめぐっていると・・・ジャムカさん(この名前、チンギスハンのライバルであるジャダラン族のジャムカからとったのかな・・)の記事に、パレンケ神殿のSSが上がってました。

このパレンケ神殿は、マヤ史上で唯一の女王が存在したパレンケ王朝が栄えた地域だったのです。今回は軽くこれを見てみましょう。

●パレンケの碑文記録
マヤの古代都市遺跡のひとつであるパレンケの碑文記録は、パレンケの繁栄を築いたパカル王の壮麗な墓の石棺などに刻まれている。
615年、12歳で即位したパカル王は、生前に大宮殿と呼ばれる建造物群と自らの埋葬用神殿である碑銘の神殿を建設した。
碑文の記録によれば、パレンケは数多いマヤの中で唯一女王が存在した都市だったのである。
つまり、マヤのこれまでの父系相続という継承原則を破った唯一の王朝だった。
資料からみて確実な女王の存在は、583年から604年にかけてパレンケを統治したオルナル女王と、612年から615年までに内政を司ったザク・クク女王。また、ザク・クク女王はパカル王の母親。
この女王の誕生は、女王が存在したパレンケ王朝の中でもやはり異例の事実で、パカル王は母系継承と神話をまじえて支配を確実なものにしたようだ。
パカル王が残した碑文の中には、神話と現実を巧みに融合させた王朝史が刻まれている。
これには、初代の王バラム・ククから少なくとも16代の王位継承が行われたことが刻まれており、それぞれの王の誕生から即位、死に至るまでが詳細に記述されている。
しかしながら、初代のバラム・ククをはじめ実在性が疑わしい者も多数存在しているみたいだ。例えば、神話の話の後に突然バラム・ククが登場し、彼の生誕について没についての記載が全くないのだ。
この中で、パカル王は、王朝系譜の変更に正当性をもたせるため、自らの母ザク・クク女王を、現世が創造される前に誕生した神話上の「最初の母」と重ね、自分を神の子として神格化したみたいだ。

というわけで、巧みに神話と現実を絡めることで女王が誕生できたというわけである。

古代において、女性が支配者になることはこれほど難しいということを示した一例だとおもいます。
関連記事
Entry Status
New >>
大英帝国の野望
<< old
ご連絡

Comment

Post a Comment









管理者にだけ表示を許可

Trackback

http://dolmeke.blog11.fc2.com/tb.php/560-d88f16e1

歴史ファンの大航海時代 Home | Page Top▲

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。