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幸運に彩られた皇帝フリードリヒ三世 その2

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バンソウコウってなんてよびますか?

2006-09-24 ; 人物列伝

さて、前回は。ジギスムント・フォン・ルクセンブルクについて見てみました。
前回はわけのわからない言葉がたくさん出てきて、難解なものになってしまいましたので、今回は、事前に少し解説を入れます。

●アルブレヒト二世(1397-1439)
ジギスムントの後に神聖ローマ皇帝になった人物。ハプスブルク出身で、1404年にオーストリア公爵になって、オーストリアを支配する。
その後ジギスムントの娘と結婚し、ハンガリー・ボヘミア王の相続権を得る。ジギスムントが1438年に亡くなると、その跡を継いでハプスブルク家の勢力範囲を拡大するも、わずか一年で急逝してしまう。

●ラディスラウス(1440-1457)
アルブレヒト二世とジギスムントの娘エリザベートの息子。生まれたときにはすでにアルブレヒト二世が亡くなっていたので父の顔は知らずに育った模様。(かわいそう・・)
そのため、生まれてすぐに、オーストリア公爵とハプスブルク家の当主になる。ただ神聖ローマ皇帝は自身が幼かったこともあり、遠縁のハプスブルク家のフリードリヒ三世が就任する。また、ハンガリーではポーランド王ウラースローを新たな王に選出していたが、彼が1444年にオスマン帝国との戦いで戦死してしまうと、ラディスラウスが4歳にしてハンガリー王に選出された。
また、ボヘミアも順当に13歳のときに正式に即位した。
さらに、フランス王シャルル7世の娘との政略結婚も内定していて、フランスとの友好関係のきっかけになるはずだったが(もし、これが成立していたら、大航海時代におけるスペインとフランスの争いもなかっただろう)、17歳にして白血病でなくなってしまう。
この結果、彼の統治していた国は以下のようになる。
1、オーストリアは、ハプスブルク家のフリードリヒ三世(神聖ローマ皇帝)へ。
2、ハンガリーは、ハプスブルク家を蹴って、マーチャーシュ(フニャディの息子)を王に選出。
3、ボヘミアはフス派による内乱と混乱が続き、フス派の王が選ばれた。

●シャルル7世
百年戦争を終結させた王。勝利王と呼ばれる。これをきっかけにフランスが統一されることに。詳しい説明はここでは不要なので割愛。(過去にフランスの記事があるので、その辺を参考に、フランスの歴史その2

長くなってきたので、次回へ続きます・・。タイトルと全く関係ないなこれ・・
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バンソウコウってなんてよびますか?

Comment

kosaki : 2006年09月24日(日) 20:22 URL edit
なんかの本で、ジギスムントからアルベレヒト2世への継承は法的根拠がまったくなくて揉めた。と書いてあるのを読んだことがある気がしてるのだが、探せなかった。。。

その息子のラディスウラスはもっと面白くて、ハンガリー諸侯としてはオスマンとの戦争の真っ最中だから実力重要で、ポーランドの連合を望んでいるんだけど、ラディスウラスの母親がハンガリーの王冠盗んで逃げたんですな(で、実権0だけど正式に戴冠しているラディスウラスと、実権は持っているけども正式な戴冠をすませていないポーランド王とが並立する事態に・・・)というありさま。
さすがハプスブルグ家、やりかたが汚いっす
めけ : 2006年09月25日(月) 10:02 URL edit
アルブレヒトへの継承は、ルクセンブルク家からハプスブルク家に変るので、いつものことながらもめもめだったみたいっすよ!
ハンガリーに関しては、情勢不安に便乗する形だったみたいですのお。そのために、フニャディが実質的な王様になったわけで・・。ハプスブルク家という血がもつ力を欲しかったけど、彼ら個人の能力がダメダメだったということですのお・・。
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