「栄光に踊った男」オドアケル::人物列伝
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「栄光に踊った男」オドアケル

2005-07-12 ; 人物列伝

フン族がゲルマン系の東ゴート族を支配下におき、今度は西ゴート族に圧迫され始めると、西ゴート族は王もろともドナウ川を南下し、ローマ帝国内に侵入を開始した。これがかの有名なゲルマン民族の大移動(375)であった。
話はとぎれるが、当時のローマ人とゲルマン民族の全体的な人口比率はローマ100に対してゲルマン3という状態であった。そのため、定住する際にはローマの許可を得て定住することになる。もちろん、定住を認めさせるには、強い武力を示して認めさせようとするのだが、それが認められないときには周辺を略奪・暴行という手に出るしかなかった。
そうして、ドナウ川を南下した西ゴート族はドナウ川の南に定住する(376年)のだが、ローマの役人によって収奪されたため、怒り狂い反乱を起こす。
ワラキア(現在のブルガリア、ドラキュラで有名)を荒らし、これを阻止しようとしたローマ皇帝ヴァレンスをアドリアノープルの戦いで破り、彼を敗死させた(378年)。
しかし、ヴァレンスの死亡によって、ローマ帝国には名君が東の皇帝につくことになる。379年に東帝になったテオドシウスは軍事・政治に手腕を発揮し、大王と称される。
378年からヴァレンスの後を継ぎ、対西ゴート戦争を指揮したテオドシウスは、382年についに4年に渡った西ゴートとの戦争を勝利に導き、講和条約を結ぶ。
その後、テオドシウスは西と東に皇帝が置かれていたローマにおいて、西帝エウゲニウスを破り、統一ローマ皇帝として君臨した。
しかし、テオドシウスが没し(395年)、西をホノリウス、東をアルカディウスの息子に分け与えたため、ローマ帝国は395年より、西と東に分裂する。
話は前後するが、西ゴートはアラリック(在位390-410)が王になるとコンスタンチノープルに兵を進めるかとおもいきや、東ローマ皇帝の甘言にあい、コンスタンチノープルには向かわず、トラキア、マケドニア、ギリシャ、イタリアを荒らしまわった。409年には3度イタリアに攻め入り、410年にはローマに入城して徹底的にローマを破壊した。
さらに、その勢いで肥沃な土地であった北アフリカ(特にカルタゴの栄えたチュニス)に兵を進めようとするが、嵐にあったため引き返し、まもなくアラリックは没する。
さて、アラリックはなぜこの当時の実質的なローマの首都(分裂前より、ローマは西より東に重点がおかれていた。分かれる前であった西帝と東帝の時代でも、東帝のほうが権力を持っていた。)であったコンスタンチノープルを攻めなかったのだろう。
そもそも、遊牧し、定住を目指すものにとっては、憧れの土地というのは肥沃な土地である。古代から肥沃な土地として栄えた、南イタリア・シチリア・北アフリカ(カルタゴ)は古来より、ゲルマン民族の憧れの土地であって、アラリックもその例外でなく、あっさり、コンスタンチノープルからイタリアに方向転換したのだった。

アフリカ攻略に失敗した西ゴート族はその後、イベリア半島に渡り、西ローマと和約し、この地に西ゴート王国を建築した(415-711)。

この混乱の後、東ゴートを支配下におき、西ゴートを圧迫したフン族はアッティラ(406-453)が王につくと、いよいよ東ローマ帝国に侵入を開始する(441年)。アッティラは両ローマ帝国から貢納金を奪い、矛を収める。あまりのアッティラの強さにローマはアッティラを「神のわざわい」として恐れた。その後アッティラはカスピ海からライン川にいたる大帝国を築き上げる。
ついに両ローマ帝国は、アッティラの貢納金の要求に応じることができなくなった。それを口実にアッティラは451年にガリアに侵入し、メッツを攻略するが、カタラウヌムで西ローマ将軍アエティウス率いる、西ローマ(フランク族主体)・西ゴート連合軍に破れ、退く。
しかし、アッティラはすぐに勢力を取り戻し、イタリアに侵入するが、教皇レオ一世の説得によって、アッティラはハンガリーに引き返す。
453年にアッティラが没するとフンの大帝国は崩壊する。

いよいよ今回の主役オドアケル(434-493)の登場である。
オドアケルはゲルマン族の名門の出身であり、彼の父はアッティラの宰相であった。彼は、西ローマ皇帝の親衛隊に入隊し、475年にはゲルマン人の傭兵隊長に推され就任する。476年にはイタリア半島に領土を要求するが、西ローマ皇帝に拒否されたため、西ローマ皇帝を追い出し、王を自称する。それに対し、東ローマ皇帝ゼノンはオドアケルが宗主権を認めたため、彼を王として容認した。

しかし、オドアケル自身は優れた軍人ではなく、西ローマ帝国は実質崩壊しており、オドアケルは単に皇帝を追い出しただけであったのだ。東ローマ皇帝にとっては、西ローマ皇帝を追い出すいい機会くらいに思っていたのかもしれない。
もし、オドアケルが優れた軍人であったのなら、東ローマも危機を感じオドアケルを認めはしないだろう。

オドアケルの欲望はついに東ローマにまでおよび、彼は東ローマ帝国に内政干渉をした。それを受けた東ローマ皇帝ゼノンは東ゴート王テオドリックにオドアケル討伐を命じるとともに、東ゴート族にイタリア移住権を認める(488)。
これを受けたテオドリックはイゾンツオでオドアケルに大勝し(489)、ラヴェンナを包囲(493)。オドアケルはここで降伏するが、後にテオドリックに暗殺される(493)。
こうして、オドアケルはわずか10年ちょっとの間だけ、イタリアを支配し、この世を去った。西ローマ帝国という歴史ある大国を滅ぼした王としてはあまりに惨めな最後であった。
予断ではあるが、東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン=トルコはその後大国として、ヨーロッパに脅威を与えることになる。オドアケルとは対照的であった。

オドアケルの剣(クエスト ローマを滅ぼした者)
攻撃18 正装5
剣術+1 統率+1
大航海時代での評価も低いみたい。

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