東ローマの歴代皇帝を評価してみる その2::歴史雑学
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東ローマの歴代皇帝を評価してみる その2

2006-07-29 ; 歴史雑学

さて、あまりにマニアックすぎて全く反響がないこのコラボ企画。
黙々と続きを書きますのでどうぞ!

◆レオ三世(717-741)
■内政:C■外交:C■軍事:C
■実績:C■文化:E■性格:C
■総合:C
■コメント
全てについて平均的。内政面では、陰謀の温床となっていた帝国艦隊の分割を実行したが、陸軍にまではおよべなかった。
外交では、イスラム軍にコンスタンチノープルを包囲されるが、これを突破し撃退に成功するが、イタリア方面ではランコバルトにラヴェンナを一時奪われたりした・・。厳しい時代を必死で駆け抜けた皇帝か。かわったこととしては、正教会にとっての崇拝対象であるイコンを異端として破壊したことなどがある。なので、文化はEにした。

◆エイレーネ(797-802)
■内政:D■外交:E■軍事:D
■実績:D■文化:B■性格:E
■総合:D
■コメント
ローマ帝国史上初の女性の皇帝。正教会では聖人扱い。残酷な方法で帝位を簒奪したにもかかわらず、聖像破壊運動をやめさせ、聖像崇拝を復活させたことで聖人と扱われている。このため、イコン破壊派を徹底的に弾圧した。そのため、帝国の国力は激しく衰退し、さらにこの帝位簒奪のために人望がなかった彼女は、減税を実施。このため財政を圧迫した。追い討ちをかけるように、800年カールの戴冠(カール大帝がローマ帝国の帝位を受けた事件)によって、唯一のローマ皇帝という地位までも地に落ちた。

◆ニケフォロス一世(802-811)
■内政:B■外交:C■軍事:C
■実績:C■文化:C■性格:C
■総合:C
■コメント
元帝国の財政長官。クーデターに成功しエイレーネを下ろすと、彼女の時代に極限まで悪化した帝国財政を再建。国内防備も強化した。
カール大帝とはローマ帝国の地位をめぐって交渉するが決着がつかず。
彼の時代は、その他の国が名君だらけで苦労したようだ。
東には、アッバーズ朝の歴代カリフの中でも最高と言われているハールーン・アッラーシード。(彼との戦争では貢納金を払うことで決着)
ブルガリアのクルム王(これによってブルガリアは強国になる)
そして、フランクのカール大帝である。
そんな歴史的名君の中でよくがんばったと思う。

◆ミカエル三世(842-867)
■内政:D■外交:C■軍事:C
■実績:C■文化:B■性格:C
■総合:D
■コメント
メテュソス(酔っ払い)という名前を後からつけられた皇帝だが、いわれるほど暗愚ではないと思われる。
小アジアではイスラムに対して攻勢に転じ、イコン崇拝を復活させ、文化を奨励し後の、マケドニアルネッサンスのきっかけを作った。
一方では、シチリア島で完全に敗北し、撤退。最後には、次のバシレイオスに帝位を簒奪されて終了している。

◆バシレイオス一世(867-886)
■内政:C■外交:C■軍事:B
■実績:B■文化:D■性格:D
■総合:C
■コメント
農民から皇帝にまで成り上がった。国内の宗教問題については解決しようといろいろするが、結局は成果があがらず。
一方外征では、小アジアのパウロ派を駆逐。ダルマチア地方の宗主権を獲得。イスラムからキプロスを7年間支配することに成功。
しかし、シチリア島のアグラブ朝との戦いでは上手くいかずに、シラクサが陥落した。

◆レオ6世フィロソフォス(886-912)
■内政:C■外交:D■軍事:E
■実績:D■文化:A■性格:C
■総合:D
■コメント
フィロソフォスとは賢者・哲学者の意味。その名のとおりバシリカ法典という法律書を残し、自身の多方面にわたる知識から様々な書物を残している。しかし、頭でっかちなのか外征ではいいところなし。

◆ニケフォロス二世フォカス(963-969)
■内政:D■外交:C■軍事:S
■実績:B■文化:E■性格:C
■総合:B
■コメント
ベリサリウス以来の偉大なる軍人。即位前から名将として様々な戦役で活躍。その後、300年ぶりにアンティオキアをイスラムから奪回するなど多大な功績を残すが、最後は自分を皇帝に押し上げた妻テオファノの浮気で暗殺される。
内政面では、悪貨をつくったりと財政を圧迫した。

◆ヨハネス一世(969-976)
■内政:D■外交:C■軍事:A
■実績:C■文化:E■性格:C
■総合:C
■コメント
ニケフォロスの拡大路線を受け継ぎ、キエフ公をバルカンで破り、イスラム相手にはメソポタミア・パレスチナ地方を征圧。これによってエルサレムが見えてきた。いったん帝都に戻り体勢を整えてる最中に病死してしまう。

◆バシレイオス二世(976-1025)
■内政:A■外交:A■軍事:A
■実績:S■文化:D■性格:B
■総合:S
■コメント
先代二帝の路線を受け継ぎ、周辺諸国の平定にあたる。特に第一次ブルガリア帝国に対しては長年のうらみでもはらすかのように苛烈にあたった。彼が即位した当時は、国庫は破綻寸前・軍事貴族は反乱を起こし・・と悲惨な状況だった。
彼はキエフ公国の支援を受け、一時絶体絶命にまで陥るが、なんとか貴族の反乱を平定。北部に侵入を繰り返していたブルガリアを長い戦いの末に打ち滅ぼす。
一方イタリア南部でもランコバルド族との戦いにも勝利。
これをもって、北はドナウ川・南はクレタ島・東はアルメニア・西は南イタリアにおよぶこの世界一の強国になった。
しかしながら、彼はユスティニアヌスのような無理な遠征を繰り返して領土を広げたわけではなく、帝国の国力はかつてないほどに強化されていたという。
内政では、徹底的に大貴族を叩き、彼らが農民から不正に取得した土地・財産を全て返還させた。さらに皇帝自身が贅沢を慎み、質素を心がけたため、あれだけ大規模な遠征にもかかわらず、国庫はあふれんばかりになった。
そんな完璧に見える皇帝も・・一つの汚点がある。それは結婚しなかったこと!それによって、無能な弟が帝位につき、またしても帝国は一気に衰退するのだ。

少し長くなったので、続きは夜にでも。
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Comment

めけ : 2006年07月30日(日) 00:41 URL edit
ルクレさん>>
おおっと、まとめで書こうとしてたことを先取りにいいいいい。
ま、まあみなかったことに!
Lucrezia Rosso : 2006年07月30日(日) 02:27 URL edit
うは!ごめんなさいぃぃぃぃぃ><;
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