2006-07-25 ; 歴史雑学
オフ会で少し話題にのぼったので、情報を補完しておきます。メジャーな人物なので、どこかに説明の記載があると思い、検索・・・。
●あった!
リンク先は、
こちらどうやら、彼は切手にもなったようですね。
●アベル・ヤンスゾーン・タスマン(1603-1659)
オランダはフローニンゲン!近郊のリュテイエガスト生まれの航海者(なんてタイムリーな都市に生まれてるんだ)。彼は1633年に東インド会社の船長になり、インドネシアのバタヴィアというオランダの東南アジアの拠点に住む。
さて・・このころの情勢を見てみると・・・・・
イングランドとオランダは、東南アジアの権益をめぐって激しく争っていて、1623年にアンボイナという拠点でオランダ東インド会社は、イングランド人を虐殺し、完全にイングランドの勢力を東南アジアから追い出すことに成功する。
一方のイングランドはこれをきっかけに、インド経営に力を注ぐことになり、フランスと激しく争うことになる。また、逆に新大陸では、オランダは早々にイングランドに追い出される。(ニューアムステルダムから撤退)
もう一つ有名なオランダの拠点としては、ケープだった。ここを東アジアとの貿易の拠点にするために、彼らは積極的にこの地に入植していた。そして、ケープからジャワに向う船がたびたび風に流されて謎の陸地の海岸線を横切ることがあった。
まとめてみると、東南アジアはオランダの拠点・支配地。ケープタウンを中継地として東南アジアに向かい、その途中で謎の大陸を見ている。
そうした情勢があって、タスマンは1642年東インド会社からこの謎の大陸の調査を要請されて、探検の旅に出ることになったのだ。
航路はリンク先の地図を参考に・・・。しかし、なぜかいきなりタスマニア島にいってから、ニュージーランドを経由して・・オーストラリア北西部を探検・・・謎だこの人・・・。
その後、オーストラリアは入植の価値なしとして殖民が行われなかった。また、18世紀に入るとイギリスのジェームズ・クックが南極を目指して航海したときに訪れている。
Comment
(たぶん途中は暴風と波浪でげろげろですが)
これって確か現代でも世界一周とかのヨット乗りが使う航路なので、ここまではいいんじゃないかと思うんですが、タスマンさんニュージーランドからのルートがやっぱりぐちゃぐちゃですねw
クック船長の航路の方がまだもうちょっと計画的に見えます。
タスマンさんは迷走してますのお。クックのほうは南極発見のために計画もってやってたからちゃんとしたルートなのかも。