大航海時代の東ヨーロッパ::国家の歴史
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大航海時代の東ヨーロッパ

2005-07-05 ; 国家の歴史

15世紀から16世紀にかけての東ヨーロッパを見てみよう。

リトアニア・ポーランド王国
ドイツ騎士団の脅威から自国を守るために、リトアニア大公ヤゲローとポーランド女王ヤトヴィカが結婚(1386)し、ヤゲロー朝が成立した。もともと、ポーランドはカシミール大王(1333-70)の元で栄え、東ヨーロッパにおいて確固たる地位を確立していた。それに加え今回の合併によって、ヤゲロー朝は西は神聖ローマ帝国と国境を接し、東はリトアニアにおよぶ東方随一の国家となった。1572年にヤゲロー朝が断絶するまでは、リトアニア・ポーランド王国の隆盛は続く。
大航海時代の王 ズィグムント1世(1506-1548)
ヤゲロー朝6代目の王。

ドイツ騎士団領
12世紀になると十字軍で形成されたエルサレム王国が危機に瀕していたため、教皇の呼びかけによって十字軍が結成された。
このとき、リューベックやハンブルクの出資の元ドイツ騎士団が結成された。そして1199年には教皇に正式に騎士修道会として認められる。バルト海沿岸地域に移住したきっかけは、当時のポーランド地域にあったマゾフシェ大公にプロイセン人(異教徒)からの防衛を任されたことから始まる。
当時の騎士団長へルマンは巧妙で、この防衛を機に、プロイセン地域を領土化することを画策した。
まず、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世と交渉し、騎士団にプロイセン人の領土を襲撃し、その地を領土化することを認めさせた。さらに教皇に異教徒プロイセン人の討伐命令を出させる(1230)。
1280年代にはプロイセン人をキリスト教徒化し、プロイセン領はドイツ騎士団領となる。
このあとも騎士団はエストニアの領有をデンマークと争い、異教徒であったリトアニアとも恒常的に争った。
特に騎士団の存在意義は異教徒を排除しその地を領土とすることであったので、リトアニアとの争いは積極的だった。
14世紀には最盛期を迎え、経済的にハンザ同盟と深く結びつき、ケーニヒスベルクやダンチヒなどの諸都市が栄えた。
しかし、リトアニアがキリスト教に改宗し、ポーランドと結びつくと、対外関係は逆転する。1410年にはタンネンベルクの戦いでポーランド・リトアニア連合軍に破れ、1466年には西プロイセンがポーランドの支配下にはいる(トルンの和約)。
しかし、16世紀に強国となるきっかけが生まれる。
1511年騎士団総長に選出されたアルプレヒト・フォン・ブランデンブルク・アンスバッハは1525年ルター派キリスト教(新教徒)に改宗し、プロイセン公国を創始する。大航海時代中期以後、プロイセンは歴史の強国としての道を歩む。
大航海時代の王 アルプレヒト(1511-68)

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