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混迷する覇権争い その9

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2006-04-27 ; 歴史雑学

だいぶ空いてしまいましたが、今回は、オランダ・イングランドを中心とした植民地争奪戦について見てみます。
なるべく簡潔に単純に書くように・・気をつけます・・。

●ポルトガルの殖民活動
古い記事で、文章も読みずらいが、ポルトガルの簡単な歴史については、こちら。また、植民地活動に活躍した人物については、こちら
さて、ここでは、簡潔にポルトガルの殖民地活動を見てみよう。
ポルトガルは、インド航路を開拓したあと、アルブケルケによってゴアを占領(1510年)し、ここにインド総督を置いて香料貿易の拠点とした。さらに、東南アジアのマラッカを占領(1511年)し、香料の最大の産地であったモルッカ諸島を占領し、香料貿易を独占することに成功。
1517年には中国の広州で明との交易をはじめ、マカオの居住権(1557年)を得て、対明貿易も開始。また、日本の種子島に漂流したことをきっかけに平戸に来航して日本との貿易も始めた(1550年)。
こうしてリスボンは空前の繁栄を迎えたのだった!

●オランダの侵攻
オランダは、独立戦争中から海外へ進出していたが、リスボンと北海エリアの中継貿易に注力していた。しかし、ポルトガルがスペインに併合されるとリスボンから締め出しを喰らったので、オランダはいよいよ海外に本格的に進出することになる。
1581年には独立を獲得すると、1595年には初めて東南アジアに艦隊を派遣し、ジャワ島にまで到達。これをきっかけに、香料貿易を運営するため1602年東インド会社を設立。1603年にはオランダの東南アジアの拠点となるジャワ島のパンダムに商館を設立し、いよいよポルトガルとモルッカ諸島を賭けて激しく争いを始めるのだった。
17世紀になるとオランダの優位がゆるぎないものになり、ポルトガルからモルッカ諸島を奪い取る。さらに、ジャワ島のバタヴィアに新市を設立し、ここを東洋貿易の拠点とした。
当時一番おいしい地域であった、東南アジアの香料地帯は当時の強国イングランドも、もちろん支配下に置きたい地域で、イングランドもモルッカ諸島に進出し、アンボイナを拠点に置いた。
しかし、オランダの優位は揺るがず、ついに1623年にアンボイナでオランダはイギリス人商館員全員を虐殺し、イングランドを完全にモルッカ諸島から追い出す。これによって、オランダはモルッカ諸島の香料貿易の独占に成功したのだった(アンボイナ事件)。
このため、イングランドはインド経営に力を傾けることになる。
その後、オランダはポルトガルを一掃すべく攻勢をかける。1641年にはマラッカ・セイロンを奪い取り、アジアへの中継の拠点として南アフリカにケープ植民地を築いた(1652年)。
東アジアにもオランダは進出し、明末期の混乱に乗じて台湾を占領し、ここを拠点とした。こうして、鎖国後も中国・日本と貿易することが許されることになる。

※ゲーム内では、普通にあるケープなのだが、港がちゃんとできたのは、17世紀半ば・・・・。

さて・・次回は、イングランドを見てみましょう。一気にざざっとかいて、意味不明になるかもしれませんが、次回でまとめますのでご安心を・・。
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