2006-04-20 ; 歴史雑学
イギリスの独裁権を握ったクロムウェル。私個人の評価としては、彼の政治的な頭脳は優れていたと思いますが、彼の信仰は厳格すぎた・・。
そのため、彼の政治は極端すぎるものとなってしまいます。
では、続きをどうぞ。
●クロムウェルの政治
煩雑になりそうなので、彼の政治を対外・国内の両面から見てみることにしよう。
◆対外政策
1、アイルランドへの侵攻(1650)
アイルランドは現在もカトリックが大多数のカトリックが盛んな国で、当時はカトリック教徒の拠点となっていた。クロムウェルは、王党派の殲滅を理由に、アイルランドに侵攻し、ここを征服。さらに、征服した土地をイングランドの地主に分配したため、この後アイルランド人は、過酷な収奪に苦しむことになる。
※王党派は、国教徒で、スタンス的には新教徒・・・。カトリックではない・・・。
2、航海条例の発布(1651)
いろいろ批判の多いクロムウェルの政策だが、この航海条例は評価に値する。これは、当時イギリスの目の上のたんこぶだったオランダに打撃を与えるために発布された条例で、イギリスとの商品の輸出入をイギリスとその当事国のみに限定するという条例だった。
これによって、中継貿易を主体にしていたオランダは大打撃を受ける。
ひとつ捕捉なのだが、当時オランダは世界一の商船を保有しており、経済力もまた世界一であった。
この航海条例は、後に始まる英蘭戦争のきっかけの一つになる。
◆国内政策
厳格なピューリタン教徒だったクロムウェルは、軍事力を背景にイギリス国民に禁欲を強いる。
具体的には、劇場の閉鎖・賭博や売春の禁止など多岐に渡り、庶民の楽しみを全て奪うものであった。そのため、国民のクロムウェルへの反発は急激に高まってくる。
クロムウェルが亡くなると(1658)、彼の子供のリチャード=クロムウェルが独裁政治を引き継ぐが、彼は無能な上に人望もなく、軍の言われるがままに議会を解散させてしまったため、就任後わずか8ヶ月で退陣。そのため、フランスに亡命していたチャールズ一世の息子がチャールズ
2世として即位する(1660)。
このことを、王が再び復活したので、王制復古と呼ばれる。
このチャールズ2世も父に似て、とんでもない人物だったので、またイギリス国内は荒れまくるのだが、今回イギリスの国内の話はここまで・・。
次回からは、ようやく、イングランドとネーデルラントの植民地政策を見てみます。
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Comment
どうみても北朝鮮ですほんとうありが(ry
というDQNっぷりでしょうww
クロムウェル政権は、軍事独裁政権だったので、軍事力がすごかったみたいです。
セシルさん>>
軍事独裁政権というところが、北○○とにてますねw
現代だって、あまり変わりはないかと。アメリカも北と同じ穴の狢ですよ。
歴史の強国ってみんな強大な軍事国家だったと思います・・。
次回からのネタバレになるのですが、オランダは商業国家で軍事大国にたちむかいます・・。
そんな意味でオランダを少し応援!カルタゴもフェニキアもニネヴェ・・・そして日本も貿易立国ですので応援したくなります。
フェニキア・オランダ・イングランド(特に18世紀前後)といった商業・造船・海運国家は、
一方で森林破壊及び資源消費国家だったのではないでしょうか。 できたら見解お願いします。
フェニキアはレバノン杉を伐採し尽くし、イングランドは本土のオークの森を枯渇させかけたし、
カルタゴは分かりませんが、あれだけ農業経営していた北アフリカが今は砂漠ですし、
これから書かれる「世界一の造船大国オランダ」も当然相当の森林を伐採していますので、
何がしかの影響はあったのではないでしょうか?
しばしおまちを!