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混迷する覇権争い その3

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混迷する覇権争い その4
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小説「ハンニバル」のご紹介

2006-04-09 ; 歴史雑学

前回までは、ポルトガルとイスパニアの支配の仕組みとイングランドとネーデルラントの支配の仕組みを見てきました。
今回は、その周辺の歴史を見てみましょう。

●イングランドの発展
イングランドが二流国から一気に列強の仲間入りができたのは、ひとえにエリザベス女王の働きが大きい。
エリザベス一世は、ヘンリ8世の第二妃アン・ブーリンの娘として生まれるが、3歳の時に母が刑死すると、第一継承権をもつメアリ一世にいじめられ、ロンドン塔に幽閉される苦難の日々をすごす・・。
しかし、ヘンリ8世の遺言によって、エドワード6世・メアリ一世に継ぐ継承権を獲得し、メアリ一世の死によって25歳で女王として即位。
エリザベス一世が即位(1558年)すると、はやくもすばらしい女王としての才能を発揮し始める。
1559年には首長法・統一法を発令して、イングランド国教会制度を確立した。一行で簡単にかくとたいしたことのない法律に見えるが、これは個人的評価としては、エリザベス最大の功績と思われる。
これを少し詳しく見てみよう。
大航海時代は勇敢な航海者たちが見果てぬ大陸を目指してさまざまな発見をもたらしたのだが、その裏でルターに代表される新教徒とカトリックがヨーロッパ各地で抗争を繰り広げていた。(宗教改革については、こちら
イングランドもヨーロッパ大陸と同様に、新教とカトリックの抗争があるにはあった。
当時の王ヘンリー8世は熱狂的なカトリック教徒で、ルターがカトリックを批判した宗教改革が起こると、それを批判する論文を発表し、ローマ教皇から「信仰の擁護者」と絶賛されている。
このままいけば、フランスに代表されるような激しい宗教戦争が起こっていたのだろうが、そうはならなかった。
ヘンリー8世は妻のカザリンとの離婚を教皇に申し出たのだが、それが認められなかったため、教皇と対立してしまったのだ。
カザリンは、早死したヘンリーの兄の未亡人で、スペイン女王イザベラの娘だった。ヘンリー8世は兄の死後彼女と結婚するのだが、侍女のアン・ブーリンと激しい恋に落ちてしまい。離婚の申し出をしたというわけ。(愛の力は偉大ですなあ。)
しかし、カザリンはスペイン王家の娘・・・、教皇が離婚を許すはずがなかった・・・。
愛の力で離婚を強行したヘンリー8世は、反ローマの機運を利用して議会の支持を取り付けると、1534年首長法を発令し、イングランド国王がイギリス国教会の唯一・最高の首長であると宣言し、イングランド国教会をローマ教会から分離・独立させた。また同じく1536年に、議会立法で修道院を廃止し、その広大な土地・財産を没収した。
その後、ヘンリー8世は6人を王妃とし、2人は離婚・2人は刑死と・・大盤振る舞いだった・・・。
さて、このような国王の個人的理由から、新しい教義をつくってしまったイングランドは、国の中央集権化と教会財産の没収が目的だったので、教義上はカトリックとほとんど同じであった。
その後、跡を継いだ唯一の男子エドワード6世が、教会・教義のプロテスタント化を進めるが、後に女王になったメアリ女王(ヘンリー8世が最初に離婚したカザリンの娘)は、母によくにて熱狂的なカトリック教徒だったので、女王になると周囲の反対を押し切りカトリック化を進め、スペインの皇太子フェリペ(後の太陽王フェリペ2世)と結婚し、次々と国教会のメンバーを粛清していく。そのため「流血好きのメアリー(ブラッティーメアリー)」と呼ばれた。
彼女がなくなると女王になったのがエリザベス一世である。エリザベスはみだれてしまった国教会を再び、統一法・首長法で混乱を修復したというわけ。
ここまでの流れを見てもらえれば、エリザベスとフェリペが対立するのは、時間の問題で・・・アルマダの海戦につながっていく・。

と・・横道で長くなりすぎたので、次回へ・・・・。
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