農家の家はどんなだった? その1::歴史雑学
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農家の家はどんなだった? その1

2006-03-31 ; 歴史雑学

以前、木と土の城について見てみました。これは、ゲルマンの初期の城について書いたものですが、ギリシャ・ローマに比べてかなり素朴なゲルマンの暮らしが現れています。
今回は、農家の家がどうなってたか見てみましょう。

●木と土の城が登場する前
11世紀になって、木と土の城が登場するが、それ以前の農村の暮らしをまずみてみよう。
このころの農村は、散在した農家が個別に粗放な耕作や牧畜を行っていて、村落共同体としてのまとまりはなかった。
農家の姿として、比較的大きな農家の場合は散在するいくつかの小型の建物群から構成され、住居は地表に穴を掘って柱を建てたいわゆる掘っ立て小屋(住居)。それに加え、古代日本に見られたような高床式の建物(倉庫)とともに、三角テント型の竪穴式住居のような半地下式の子屋(家畜用)が付随していた。
簡単にまとめるとこの家は、
◆住居
◆倉庫
◆家畜用建物
の3つの建物群で構成されていたといえる。

●11世紀以降
土と木の城が登場するころになると、農業技術の向上を背景に、領主を中心とした一定の治安組織が成立したために、農家のありかたは大きく変貌を遂げる。
城・教会・を核にして集住する村落が新しく形成され、そこには共同体としての村組織も生まれてきたのだ。
このころになると、建物の数も多くなり、農家のあり方も多様化していく。
例えば、裕福な農家の場合は、四角い中庭を囲むようにして、複数の建物(住居・倉庫など)が並んで配置されるのが一般的だった。
また、石造の建物も多くなってきて、母屋にあたる住居とともに、その2~3倍の面積を持つ付属施設がおかれるようになってくる。この付属施設とは、主に増加する家畜のためのものだった。
これが日本などの米食圏とだいぶことなるところで、ヨーロッパでは家畜である牛に鍬を引かせるのはもちろんのこと、食肉・乳製品・羊毛などにして利用していたから、家畜の量が日本など比べてはるかに多かったからである。
小さな農家でさえ、一つか二つしか建物はなかったのだが、それでも家畜と人間が同居できるように作られていたのだ。

ちょっと煩雑になってしまいましたが、次回は内部を見てみましょう。
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どうでもいいこと・・・。

Comment

セシル : 2006年03月31日(金) 02:28 URL edit
中世的な村落共同体と古代な氏族共同体の境目はなんなんだろうね。
単純に苗字が違うやつらと共同体つくったぜぃ。でええんかな?
ヨーロッパの農業技術の発展はけっこうオモロイよね。日本とかだと無文字時代に農業がかなり発達してしまっていて初期の発展がいまいち不明なんだけど、
やつらヒトケタ世紀(といってもミレニアムかなーり間近)のころは畑を耕さずにてきとうに種をまくとか信じられない事をしてるさまが記録にのこっておりますゆえ。
Lucrezia Rosso : 2006年03月31日(金) 06:39 URL edit
たしかに、10世紀頃の穀物の種子生産性は3倍でしたからねぇ。農業革命後でも6倍…。そりゃぁ、飢饉だっておこるってw

でも、そうやって考えると、キリスト教化がすすんで教会を中心とした祭事中心の共同体の成立が確立されたこと、冶金術が発達して村に鍛冶屋が出来るなどの専門職による分業化とか、この辺りが村落共同体の境目のような気もします。どうでしょ?
めけ : 2006年04月03日(月) 01:57 URL edit
セシルさん>>
んー。境目については、いろいろ諸説があるんですが、わたしの主観では、一定の法によって統治したこと?これがポイントかなあと思います。ヨーロッパはアジアと違って、農業の生産性が激しく悪いですからねえ・・。それが人口にあらわれてるっすね。
ルクレさん>>
3倍っすか!ヨーロッパ大陸の生産性の悪さはよく指摘されるんですが、アジア地域に比べるとぐっとわりいっすねー。
しかし、古代メソポタミアでは、なんと23倍!だったらしいですよ、いまのわたしたちとそうかわらんっす。
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