ノルマン::発見物関連
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ノルマン

2005-06-24 ; 発見物関連

ゲーム内でも耳にするノルマンとは?
ノルマン人はデーン人、ヴァイキングとも呼称され、スカンジナビア・ユトランド半島を原住地とし、スウェーデン・デンマーク・ノルウェーの3部族に分かれて暮らしていた。
ノルマン人は8世紀中ごろから、豊かな土地を求めてヨーロッパ各地に移動・侵入を開始した。(耕地不足が原因と言われているが、ゲルマン民族をはじめとしたヨーロッパに侵入・定住した民族は全て、南イタリアの豊かな耕作地にあこがれたという)
はじめは商業活動に従事していた彼らであったが、やがて、沿岸地域や河川を遡って海賊行為を行いだし、ヴァイキング(入り江の民、後に海賊という意味になる)と呼ばれ恐れらた。

また、ノルマン人の海賊行為がこれほど他国に脅威を与えたのはノルマンの優れた造船技術と航海術があってのことであった。

しだいに、ノルマン人たちは海賊行為からヨーロッパ地域の土地を奪い定住するようになっていく。そうして、ノルマン人はついにはパリを包囲(885)するほど猛威をふるっていた。

ノルウェーの首長であったロロ(860-933)は北フランスに侵入・略奪を行い、セーヌ川河口地域を占領した(890年頃)。
このロロの侵入に苦しんだ西フランク王シャルル3世はロロがキリスト教に改宗することを条件にセーヌ川一帯の定住を認め、ノルマンディー公に封じた(911)。ノルマンディー公領はイギリスがフランスに敗れ、フランスに併合されるまで続いた。

このノルマンディー出身のロベール=ギスカールとルッジェーロの兄弟は南イタリアに侵入・略奪を繰り返し、南イタリアを支配するまでになった。また、ローマ教皇が当時イスラムが支配していたシチリア島の討伐を命じられると、シチリアを征服(1061)した。
父ルッジェーロの後をついだルッジェーロ二世は南イタリアとシチリアのノルマン勢力を統合して、両シチリア王国を建国した。
(1130)

時が前後するが、イングランドでもノルマン人の侵入は続き、9世紀半ばには南西部のウェセックスを残しイングランドを支配するまでになった。
しかし、イングランド王アルフレッド大王(848-899)が即位すると、ノルマン人と徹底抗戦し、ついにはデーンロー地方(イングランド東部)の北部に押し込めることに成功した。このあと、1世紀ほどの間平和な時代が続くが、11世紀のはじめにイングランド王が反乱を口実にイングランド国内のノルマン人を虐殺したことによって、再びノルマン人の侵入が開始された。
デンマーク王の第2子であるカヌートが、父とともに、イングランドに侵入(1013)・征服(1015)し、1016年にはイングランド王になり、デーン朝(1016~1042)を開いた。彼は兄の死後デンマーク王を兼ねて、ノルウェーとスウェーデンの一部をも支配して空前の海上大帝国を築いた。しかし、彼の死後まもなく大帝国は崩壊した。
デーン朝は3代で崩壊したので、その隙にイングランドのアングロ=サクソン王朝が復権(1042年)。しかし、ノルマンディー公ウィリアムによって、再びノルマンに征服される(1066)。

このように、ノルマンはヨーロッパの各地域で猛威を振るっていたのだった。

ロロの兜
防御30 正装25 突撃+1
ん~正装が高いのはどうかとおもうが・・・。

ノルマンヘルム
防御25 攻撃12 突撃+1
こちらはイメージのまんまですなあ。


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