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ゲルマンのお城の起源

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2006-03-23 ; 歴史雑学

追記が入ってしまったので、少しあいてしまいましたが、ヨーロッパのお城についてみてみましょう。お城というと、豪華で壮麗なノイシュヴァンシュタイン城のようなものを想像しますが、初期のお城とはどんなものだったのでしょう。

●土と木の城
10世紀のドイツで作られた最初期の城砦が建築された時には、土塁や塀に囲まれた盛り土の上に立つ木造の城だった。城というと聞こえは良いが、これは城というより我々が想像するところの、辺境の国境沿いの砦のような貧相な小型なものだった。
一応外敵の妨げになる、小さな柵で回りを囲み、柵の中は半球形になるように土を盛って、その上にヤグラ(と表現したほうがしっくりくる)を組み上げ、遠くを見渡せるようにしたもの・・・・・これが最初期の土と木の城を表すのに適した表現だと思う。
しかしながら、この城は小型ではあったが、混沌とした当時の社会にあっては対外防衛と治安維持の友好な拠点であった。この城を拠点に城主(領主)たちは周辺地域を支配し、農民を保護すると同時に、見返りとして農民に年貢(保護税)を治めさせ、領土を支配することができた。
この城が各地に出来てくると、力の持った領主に、小規模な領主が主君と仰ぎ、その土地を安著されるようになってくる。やがてこれが、封土となり、封建社会が成立していくのである。
だいたい10世紀から13世紀半ばにかけて、この「土と木の城」が軍事拠点として、ヨーロッパ社会を形成していく・・、研究者たちによると、11世紀の半ばのフランスにはおよそ5000余りの土と木の城が建設されていたらしい。
しかしながら、この軍事施設としての城は城主の住居でもあったので、最も安全な頂上の天守閣に城主の居住空間が作られるようになり、やがて、城の中で生活できるようにまで、城は改築されていくようになる・・・。さて、彼らの住居とはどんなものだっただろうか・・続きはまた今度・・・・。
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Comment

くまエルフ : 2006年03月23日(木) 19:27 URL edit
 この頃の城の作り方を、確かモット・アンド・ベーリー方式というのでしたっけね?
 西欧もかつてはローマ帝国領で、あれほどすぐれた石造建築技術を持っていたのに………文化・発想の減退というのは怖いものですね。
めけ : 2006年03月24日(金) 00:58 URL edit
おっしゃるとおり、モットアンドベーリー型の城です。そこまで知ってるとはくまエルフさんも相当のマニアックさをお持ちで・・。
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