スポンサーサイト::スポンサー広告 英雄ヘラクレイオス その5::人物列伝

英雄ヘラクレイオス その5

-------- ; スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Entry Status
New >>
くだらない話・・。
<< old
例えバトン

2006-02-28 ; 人物列伝

古代ローマのパルティア以来のペルシアとの戦闘の歴史に終止符を打ったヘラクレイオス。彼はコンスタンチノープルに凱旋すると歓呼の元国民に迎えられます。

●「我こそは、キリスト教徒のバシリウスなり」
ペルシアとの戦いに勝利し、首都コンスタンチノープルに凱旋帰国したヘラクレイオスは、民衆の前で、こう宣言します。
「我こそは、キリスト教徒のバシリウスなり(諸王の王。ペルシアのシャーと似た意味を持ち、キングオブキングスの意)。」
このときをもって、古代ローマ以来使われていたラテン語ではなく、実質的なビザンツの公用語であるギリシア語が王の名につくようになる。
これは、東ローマから完全に脱却し、ギリシア人国家ビザンツを象徴する出来事であった。
630年には、ペルシアより「聖なる十字架」の返還を受け、帝国はこれをもって長い戦いに完全に別れを告げたのだ。

●「シリアよ。さらば」
しかし・・、ヘラクレイオスの栄光の時も長くは続かなかった。彼が一生かけて築き上げた、ほかの全てをかなぐり捨ててでも達成したペルシアへの勝利が無に帰す瞬間が刻々と迫っていた・・・・・。

ヘラクレイオスが遠征中の622年・・・、今後の世界史に大きな影響を与える一大事件がアラビア半島で起こっていたのだ。
それは、イスラム教の開祖「預言者」ムハンマドが、メッカからメディナに移った年である。(ヒジュラ、聖遷という言葉で示される)
これを機に、ムハンマドらは、瞬く間にアラビア半島を制圧。この背景には、ペルシアがビザンツとの死闘で完全に国力を失っていた背景がある。続いてムハンマドはシリアに侵入し、いよいよビザンツとの戦闘に入る。
それでもヘラクレイオスは、最後の力を振り絞りムハンマドの軍を撃退。しかし、ムハンマドが亡くなっても彼の遺志を継ぐイスラム教徒たちが再び押し寄せてくる・・・。
このときもはやビザンツにはイスラム教徒たちと戦える力がわずかなりとも残っていなかった・・・。635年にはあっけなくダマスカスを占領される。
これにはヘラクレイオスも黙ってはいれなかった・・。ビザンツに残された力はもはやないと知りながらも・・・。
しかし、ヘラクレイオスはあきらめなかった。もてる全ての兵をかき集め、シリアでイスラム軍と交戦する!
予想どおりではあるが、ヘラクレイオスはこの戦いで惨敗し、シリアを捨てざるを得なくなる・・・。この敗戦で皮肉にもヘラクレイオスの中で最も有名な言葉が残されている。
「シリアよさらば。なんと素晴らしい国を敵に渡すことか!」

●失意の中で・・・・・
一転して悲劇の皇帝になってしまったヘラクレイオス。彼の晩年は悲惨なものであった。一生かけて達成したペルシアから取り戻した領土は、全てイスラムに占領(シリア、パレスチナ、メソポタミア、エジプト)され、642年にはササン朝ペルシアもイスラムに滅ぼされる・・。
不幸中の幸いだったかは本人にしか分からないが、ヘラクレイオスはペルシア滅亡の前年641年に失意と絶望の中死去・・。
彼の死後皇室は乱れ、長く苦難の帝国の歴史が再びはじまるのだ・・。
しかし・・・帝国はいずれ不死鳥のように世界の強国としてよみがえる・・。一人の不世出の天才によって・・この話はまたいずれ・・。

ペルシアについての参考HP
ササン朝ペルシアとビザンツの当時の領土
ササン朝ペルシア
古代イラン世界の歴史

上記の地図はササン朝がいかに広大な帝国であったのかがうかがえる。イラン世界の歴史では歴代のササン朝のシャーについて詳しくのっている・・。しかし、歴史系HPによくある感じで、難しい言葉がちらほら・・。

この地図を見てもらえれば、ビザンツがこのとき失った領土がわかりやすいと思います。下半分の領土を全て失ったことになるのです。
関連記事
Entry Status
New >>
くだらない話・・。
<< old
例えバトン

Comment

セシル : 2006年02月28日(火) 12:59 URL edit
僕が読んだ本では
「さらば、シリアよ! 汝はなんとよき土地であることか!」
と訳されていました。いまでも覚えているところを見るといい台詞だとしみじみ思います。
この時代で興味深いのは、ビザンツに残った土地は農業に向かない場所ばっか。っちゅーこですよね。
国庫収支が超苦しいので、今後のビザンツのとるべき方向性がだいぶ制限された気が。
むにゃむにゃ・・・
めけ : 2006年03月01日(水) 10:10 URL edit
エジプトとシリアを失ったのは、農業面でかなり厳しいっすね。
その地域だよりで、過剰に収奪していたことを考えると、正常になるきっかけになったかもかも。
Post a Comment









管理者にだけ表示を許可

Trackback

http://dolmeke.blog11.fc2.com/tb.php/293-b9ad2382

歴史ファンの大航海時代 Home | Page Top▲

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。