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英雄ヘラクレイオス その4

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英雄ヘラクレイオス その3

2006-02-27 ; 人物列伝

小アジアを回復し、和平を望んだヘラクレイオスでしたが、ペルシアのホスロー二世に拒否されてしまいます・・・・。
このことが、後に最大の不幸となって両者に降りかかることになります・・・。ともかく、和平を拒否されたヘラクレイオスはホスロー二世と徹底的に戦わねばならなくなります。
他の元ビザンツ帝国領土は、ビザンツに対して印象がよくありませんでしたので、ヘラクレイオスはペルシアの本拠地を叩くため計画をすすめます。その間、北からまたしてもアヴァール族が攻め込んで来ますが、ヘラクレイオスは上手く彼らを説得し、いよいよ決戦に赴くのでした。
最後に付け加えておきますが、ササン朝ペルシアのホスロー二世は優れた君主で、それゆえヘラクレイオスとの和議を拒んだのでしょう。(事実ササン朝は、ホスローの登場まで内乱続きで、彼によってようやく一つにまとまりました。)

●死闘
623年にアゼルバイジャンに攻め込んだヘラクレイオスは、激しい戦いの末に、ここを占拠。この地で現地のキリスト教徒を取り込み、現イランのタブリーズを破壊することに成功。
624年になると、イベリア半島の帝国領がゲルマンの西ゴート族に占領されるが、ヘラクレイオスはそちらには目もくれず(といっても対ペルシアに全力投球をしているため、イベリアまでいっていられない)、アルメニアでペルシアとの戦闘を再開するが、ここではペルシアが優勢でヘラクレイオスは撤退を余儀なくする・・・・。
625年に黒海まで撤退したヘラクレイオスに対し、翌年ホスローは反撃に打って出る!ペルシア側もヘラクレイオス同様、ビザンツの首都を叩こうと侵攻を開始。
首都に直接攻めるのは悪くない作戦だ・・。しかし!コンスタンチノープルの難攻不落さと、海軍のギリシャ火のものすごさをホスローは考えに入れてなかった。
アヴァール・スラブ・ペルシア連合海軍は、ビザンツ帝国海軍のギリシャ火にあっけなく惨敗。一方首都に攻め入ったペルシア陸軍も難攻不落の城壁と総主教セルギオス(聖地奪還のためヘラクレイオスに資金援助した人)の奮戦のため、敗退。
さらには、ペルシアがヘラクレイオスを討とうと黒海に差し向けた軍隊は、ヘラクレイオスの弟テオドロスが迎え撃ち応戦。
その間にヘラクレイオスはペルシア本拠地を叩こうと南下を開始する。
翌627年には、メソポタミアの古都ニネヴェでペルシア軍を破ったヘラクレイオスは、その勢いのまま628年ペルシアの首都クテシフォン(バグダード近郊)に迫った。
ところがここにきて、ペルシアの悪癖が出て(しょっちゅう反乱を起こす)しまい、ホスロー二世はクーデターによって殺害されてしまう。
ビザンツと徹底抗戦の構えを取っていたホスロー二世がなくなったことで、ペルシアは一気に和平を受ける動きを見せる。
こうして、ホスローの後を継いだカヴァード二世とヘラクレイオスは和平を結び、ペルシアの占領地からの全面撤退と捕虜の変換をすることで、戦いは終結したのだった。
その後、すぐに病気でなくなってしまったカヴァード二世の後を継いだアルダシール三世の後見人にヘラクレイオスが指名され、長きに渡ったペルシアとローマの戦いはローマの勝利で幕を閉じたのだった。
こうして、イベリアや多数の犠牲を払って余りある勝利をヘラクレイオスは手にしたのであった。

しかし・・・・、栄光は長く続かなかった・・・・・続く・・

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