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風と大地の間で!生きている! その2

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風と大地の間で!生きている! その1

2006-02-11 ; 国家の歴史

苦難の10年を乗り切り、いよいよ天才の名が天下にとどろくときがやってきた。西チャガタイ国を滅ぼしたティムールは、まずは旧チャガタイ国の統一を目指します。

●ティムールの征服活動
即位したティムール(在位1370-1405 生存1336-1405)は、あっさりと衰退した東チャガタイを併合(1393年)。これによって旧チャガタイ国を滅ぼしたティムールは、旧モンゴル帝国の国家に目を向ける。
転職クエストで有名な、モンゴルのフラグが立てたイル・ハン国に遠征し併合(1393年)。続いて、隣国キプチャク・ハン国を攻め、これを滅ぼす(1395年)。さらには西北インドのトゥグルク朝にも侵入(1398年)。
ここまでの国は衰退していた国家であったが、ここからティムールの軍事的才能のすごさがうかがえる。
ティムールの征服活動は、カイロを首都としたマムルーク朝におよび、シリアを奪取。そして、次の相手は強敵であった。
トルコ系国家でビザンツ帝国の領地を侵食しながら巨大化していったオスマン・トルコがティムールの次の相手だ!
オスマン・トルコの当時のスルタンは、バヤジット一世であった。先代のムラト一世の代では、バルカン半島諸国をコソヴォの戦いで破り、バルカンの支配権を獲得。バヤジットの時代には、セルビアを従属させ、ニコポリスの戦いでハンガリー王ジギスムントを中心としたキリスト教連合軍(イギリス・フランス・ドイツ・バルカン諸国)を破り、勢いを増していた。
本来、勃興期で活力のある国は、戦争にも強く内部組織もしっかりしているので、少々のことでは国はゆるがないのが歴史の常識でる・・・。
そして、ティムールが小アジアに攻め入ってきたので、これをバヤジットはアンカラで迎え撃つ!(1402年)
■アンカラの戦い
ティムール軍 10万(全て騎兵)
バヤジット軍 8万(歩兵中心)
アンカラでティムールの侵攻を食い止めようとしたバヤジット軍は、連夜の強行軍で疲れが見えていた。さらに、戦闘がはじまるとモンゴルの襲来のときに味わったであろう、全軍騎兵の恐ろしいまでの機動力にバヤジット軍は翻弄される。
それでも、戦いの当初、ティムールの皇子アブー・バクルの強力な突撃をバヤジット左翼のバルカン軍騎兵がなんとかもちこたえる。さらには、右翼においてはセルビア軍騎兵(指揮官シャー・ルフ)の強烈な突撃でティムール軍をはねかえしてみせた。
しかしながら、疲労の差・地形の不利は時間がたつにつれ顕著になり、オスマン軍の消耗が激しくなる。そして、味方の裏切りもあって、オスマン軍は敗走しはじめる。
ティムールは追撃を命じ、バヤジットを追うがオスマン軍セルビア歩兵とイェニチェリの活躍があり追撃軍を撃退。
しかし、その日の夜中、脱出しようとしたバヤジットはティムール軍にとらえられる。
こうして、アンカラの戦いはティムールの勝利に終ったのだった。

長くなったので・・続く・・・

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