木造船時代の終焉 その1::歴史雑学
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木造船時代の終焉 その1

2006-01-25 ; 歴史雑学

さて、公式サイトのオスマン襲撃についての報告が出ています。
これを見ると、
オスマン艦隊の地中海方面先遣隊の大型ガレー約1400隻がサルデーニャ島西沖に到着。その30分後には、主力であるガレアス900隻、重ガレー3300隻、強襲ガレー1200隻という一大船団がティレニア海全域に展開した。
こういった文章が書かれています。そして、教皇から?の呼びかけでプレイヤーが参戦する形になっていました。これは、参加する国・戦った地域こそ違えど、レパントの海戦に似たイベントですね。これは、ガレー対ガレーの戦いだったのですが、わたしにはどうも、そのあとのアルマダの海戦を思い出させてしまうものでした。
というのは、アルマダの海戦の側面として、帆船とガレー船の戦いというものがあり、それは、技術力(科学技術・造船技術)の高い帆船が勝利したといえるものでもあります。この戦い以後、帆船が海戦の主役となります。
今回の公式サイト発表の艦隊の数はたしかにすごいものでしたが、プレイヤーの高い砲撃能力・高い装甲には、オスマンの旧式艦隊では全く歯がたたなかったのです。
実際このイベントにいってみたのですが、さほど苦労もせず勝利することができます。
さて・・前置きが長くなってしまいましたが、アルマダの海戦がガレー船の時代の終焉とすれば、帆船の時代の終焉、そして木造船の時代の終焉も確かにありました。
今回は、木造船の時代の終焉を見せた海戦について見てみようと思います。

●ハンプトン・ローズの海戦
時代は、ナポレオンが活躍した後の時代のアメリカ。この時代のアメリカは、北軍と南軍のまっぷたつに割れ、争っていた。
南北戦争の初期1861年北軍がバージニアから退去する際、北軍士官によってノーフォークにある海軍造船所が爆破される。しかしそこには、エンジン不調のため係留されていたのが、合衆国海軍の蒸気フリゲート艦であった。爆破の際にこのフリゲート艦も炎上沈没したのだが、これを南軍は引き上げ、装甲艦「バージニア」として改造を施す。南軍が装甲艦を建造していることを知ると、北軍も急ピッチで同じく装甲艦「モニター」を完成させ、南軍に対抗。
1862年3月、南軍の「バージニア」はチェサピーク湾のジェームズ河の河口に現れ、北軍の「カンバーランド」と「コングレス」、および「ミネソタ」の3隻(これらは全て木造船)と交戦。
こうして、南軍と北軍の戦いは始まった。

続きは次回・・・。1/27誤字訂正・・。

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