古代メソポタミアの世界地図::歴史雑学
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古代メソポタミアの世界地図

2006-01-24 ; 歴史雑学

メソポタミアという文字が出てきましたが、今回はオーパーツ(時代にそぐわない工芸品・文明)のお話ではありません。大航海時代の世界観は、アフリカの先にいくと世界の果てだと信じられていました。では、古代のメソポタミアではどうだったのでしょう。

●バビロニアの世界地図
ハンムラビ法典で有名な古代バビロニアは非常に優れた文明として、後の世に影響を与えている。このハンムラビ法典は、粘土板に刻まれた楔形文字から読み解かれたものなのだが、同じようにバビロニアの粘土板からは、彼らの描いた世界地図も出土している。
一般に「バビロニアの地図」と呼ばれる粘土板には、バビロニアの首都バビロンを中心とした世界地図が描かれている。この地図の原型となったものは、紀元前2300年ごろ、アッカド帝国のサルゴン一世時代に作成された地図がもとになっているといわれ、この粘土板は、紀元前600年ごろ新バビロニア時代に複製されたものと考えられている。しかしながらこの地図は、現存する最古の地図なのだ。

●地図の内容
国をあらわす円内の上部の枠の中にはバビロンと書かれており、縦に貫かれた線はユーフラテス川を、上にある半円は山脈を表している。そしてバビロンの周りには、丸印で都市が表されており、それぞれにアッシリア、デール、スサ、ビートラキン、ハッバンと都市名が記載されている。
さらに、円の外側は「苦い水」とかかれている。これはおそらく海をあらわしているものだろう・・。事実彼らは、自分たちの領土は、上の海(地中海)と、下の海(ペルシア湾)に取り囲まれ、深淵の淡水の谷に浮かんだ広大な大陸と信じていたようである。
そして、海の周囲には、第一地方から第七地方までが示されており、アッカド帝国が北はアナトリア。東はザクロス山地のエラム。南はペルシア湾。西はシリアまでと広範囲にわたっていたこともわかった。

メソポタミアの地図からもわかるように、自分たちがいったことのない土地の地図はやはり、世界の果てのようにして描かれていないようです。

明日はおそらく出張のため更新できません。申し訳ないです。

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