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クシャーナとカニシカ王

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フランスへきたれ!

2006-01-16 ; 国家の歴史

チャンドラグプタのところで、古代インドのマウリヤ朝までを見てみました。衰退したマウリヤ朝の滅亡から、クシャーナ朝までを今回はみてみましょう。

●マウリヤ朝滅亡す
マウリヤ朝はアショーカ王の死後急激に衰退し、約50年後には最後の王が部下に暗殺され滅びる。続いてシュンガ朝(前180-前80年ごろ)がこの地を支配するのだが、西北インドにまではその勢力は及ばず、西北部ではバクトリア(地方の名前)のギリシア人や、イラン(ペルシア)の遊牧民族サカ族が侵入することになる。

●クシャーナ朝の成立
前2世紀ごろ勢力を伸ばした月氏(遊牧民族)は、匈奴(中国史によくでてくる遊牧民族)に追われ、西方へ侵入する。
彼らは最終的にアム川上流のバクトリアのイラン人たちを支配し、この地に大月氏国を建てる。
大月氏国は、5つの諸侯を立て彼らにそれぞれの地域を支配させる。このなかの一つにクシャーナ族があった。
前1世紀後半、クシャーナ族にクジュラ=カドフィセス王が出て、他の4諸侯を支配下におき、バクトリアを手中に収める。さらには南下して、インドのパンジャーブ地方をも領有するまでになった。
このクシャーナ朝(1-3世紀)の第三代目の王がカニシカで、彼はガンダーラ地方のペシャワールに首都を移し、西は中央アジア・イラン方面。東はガンジス川中流域に至る北インドにまで勢力を拡大し、クシャーナ朝の全盛期を築き上げた。さらに、クシャーナ朝は東西の交易の要所を押さえたため、貿易の利益を独占しておおいに栄えたのだった。
また、カニシカは仏教を推奨し、このころから仏像の製作が始まり、ガンダーラ美術といわれる文芸も栄えることになる。
また、このころ同じインドのデカン高原では、マウリヤ朝崩壊後小国の分裂状態にあったのだが、次第にサータバーハナ朝(前1世紀~3世紀ごろ)が巨大化し、デカン高原の支配者となる。
このクシャーナとサータバーハナは、季節風を利用して遠くローマとまで交易していたそうである。
この続きは、また機会のあるときに。

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    Comment

    カパ☆ : 2006年01月16日(月) 11:35 URL edit
    こんなにおもしろいブログがあったなんて!
    はじめまして。Eurosで航海しているカパチョフと申します。大航海やるまでは歴史や地理にほんとにうとかったんですが、最近ではすっかり歴史ファンの一員ですw 歴史や帆船の本もいっぱい買ってしまいました~。
    うちのブログからリンクさせてもらいました。これからも興味深い話に期待しながら、勉強させてもらいます。
    : 2006年01月16日(月) 18:26 edit
    このコメントは管理人のみ閲覧できます
    めけ : 2006年01月17日(火) 00:19 URL edit
    こんにちは!
    こちらこそはじめまして!カパチョフさんのブログは関西弁で軽快な感じがしていいすね!
    こちらからもリンクさせていただきますー。今後ともよろしく・・。
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