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インドとチャンドラグプタ

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ローマの一週間 その2

2006-01-13 ; 発見物関連

インダス文明とモヘンジョダロについて見てみました。過去記事はこちら
インダス文明はその後のインドの歴史と接点がなかったといわれています。ではその後のインドはどのような感じだったのでしょう。

●マガタ国
前7世紀の混乱期(16王国時代)を経て、前6世紀に入ると、ガンジス川中流域を拠点としたマガタ国と同じくガンジス川中上流域を拠点とするコーサラ国が次第に巨大化していく。
この地域はマガタ地方といって、古代インドにおける政治・経済・文化・宗教の中心地であった(この地方で仏教が生まれた)。
最終的にこの両国の抗争は、前5世紀にはマガタ国の勝利に終わり、コーサラ国は滅ぶ。
時が進み、前4世紀の後半になると、これまでマガタ国を支配していたシシュナガ朝に替わり、ナンダ朝がマガタ国王となり、ガンジス川流域を支配するのだった。
また、ナンダ朝の創始者であるマハーバトマは、卑賤な身分の出身で「すべてのクシャトリヤ(騎士階級・貴族階級)を倒したと伝えられる。
このころ、アケメネス朝ペルシアを滅ぼした、アレクサンドロスは、インドにまでその軍を進める。
アレクサンドロスは、インドのパンジャーブ地方まで軍を進めるが、部下の反乱にあい、引き返していく。
このアレクサンドロスの侵入によって、インドの民族にナショナリズムが生まれ、国家統一の機運となっていく。その中で頭角を現してくるのが、大航海内でもおなじみのチャンドラグプタである。

●チャンドラグプタとマウリヤ朝
チャンドラグプタは、カースト(身分)の非常に低い階級から身を起こし、ついにはナンダ朝の武将まで登りつめる。彼は、アレクサンドロスの西北インドへの侵入の混乱に乗じてナンダ朝を滅ぼし、マウリヤ朝(前317頃~前180頃)をおこす。さらには、ガンジス川流域を征服するとともに、西北インドにも進出。アレクサンドロスの残したギリシア勢力を駆逐し、セレウコス朝の進出を抑えてアフガニスタンを取得。
その後も彼の征服は続き、次は南インドに進出してインド初の統一を成し遂げた。そしてチャンドラグプタは、パータリプトラを首都に定め、強力な軍隊と官僚組織をもって国を治めた。
彼の後は子のビンドゥサーラが継ぎ、国力はますます充実した。そして、マウリヤ朝の全盛期を築いたのが第3代国王アショーカである。彼は東南方のカリンガを征服し、インドの南端を除く全インドを統一した。
しかし、この戦争は凄惨なもので、10万人の死傷者、15万人の捕虜が出してしまう。アショーカはこのことに深く後悔・懺悔し、仏教の自愛に帰依し以後熱心な仏教徒となり、仏教を保護・育成したのだった。
また彼は、仏教の布教にも熱心で、王子のマヒンダを布教のためにセイロン島に派遣した。セイロン島は後にインドで仏教が衰えるなかで、仏教の一大中心地となり、以後東南アジアに仏教が広まる拠点となった。
しかし、アショーカの死後マウリヤ朝は急速に衰え、約50年後にはシュンガ朝にとってかわられる。

■チャンドラグプタの剣
攻撃31 正装10 剣術+1 社交+1
社交があがるのが謎ですが・・アショーカの剣なら社交があがるのは・・わかります・・

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