悲劇の追悼::発見物関連
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悲劇の追悼

2005-06-15 ; 発見物関連

冒険者の方なら何度も見たクエストではないでしょうか?

アケメネス朝の野望がギリシア諸都市におよび、アケメネス朝最盛期の王であった、ダレイオス1世は、マラトン平野で向かえ打つアテネ・スパルタ両軍と決戦を迎える。
これがマラトンの戦い(前490年)である。戦いはアテネ・スパルタ軍の大勝利で、死者の数をみても、アテネ・スパルタ軍約200人に対し、ペルシア軍6000人以上という戦況であった。
ダリウス一世が没したあと、その息子であるクセルクセスは、父はギリシアを小国と考えていたが、クセルクセスはギリシアに対して非常に慎重に戦いを進めることを決意。

ここで、話がとぎれるが、スパルタ兵について。
スパルタでは、他のポリスと違って、奴隷の数が市民の数より多かった。スパルタは市民より勝る奴隷を統治するために、男性市民全員を兵士にし、幼少の頃から30歳くらいまで厳しい訓練をかしてギリシアで最も屈強な軍隊をつくりあげ、スパルタを統治した。この厳しい訓練のことを今日でもスパルタというほど、厳しい訓練であったという。

クセルクセスは2年かけて対ギリシア作戦を練り上げ、いよいよギリシアに攻め込む。(前480年)
これをスパルタ王レオニダスはギリシア連合軍を率いて、テルモピュレー陸挟で交戦する。
テルモピュレーは山と海に囲まれた天然の要塞で、地の利を生かし、レオニダスは数で勝るペルシャ相手に互角の戦いを進めていた。しかし、内通者が出てペルシャ軍に挟撃されると、レオニダスは兵を撤退させるため、わずか300名のスパルタ兵を残し退路を切り開こうとする。
「剣のあるものは剣で。剣の折れた者は素手で最後までたたかった」と歴史家のヘロドトスがつづったように、スパルタ兵300名はレオニダス以下最後の一人まで勇敢に戦い、ギリシア軍を撤退させた。
この戦争は、スパルタにとって美談となり、スパルタ軍はますます精強になっていく。
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