ハンニバルは勝利できなかったのか? その3::歴史雑学
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ハンニバルは勝利できなかったのか? その3

2005-11-30 ; 歴史雑学

さて、リアルでえらいこと続きのめけですが、歴史記事に熱中してごまかします。
前回は当時のローマを見てみました。今回は、このテーマを語る上で見ておきたい第一次ポエニ戦争の戦闘経過と、第二次ポエニ戦争に残した影響を語ってみます。

●第一次ポエニ戦争の戦争経過
ざっと箇条書きにすると
■紀元前265年、シュラクサイ(大航海時代のシラクサがある都市)の傭兵隊がアガトクレス王の死後、解雇されたが解散せず、北上してメシナを占領。
■その後も傭兵隊は周辺に害を及ぼしたので、シュラクサイ国王ヒエロン二世は、傭兵隊を討伐することを決意。
■シュラクサイ軍は見事マルメス傭兵隊を撃破、さらに追撃するためにメシナに向かう。
■敗北必死なマルメス隊は、ローマに援助を持ちかけ、ローマはそれに答え、これに対し、ヒエロン二世は、カルタゴに支援を受ける。
■紀元前264年、ローマはメシナ近くに上陸し、シュラクサイ軍、カルタゴ両軍を撃破。そしてメシナを占領したローマ軍はシュラクサイ近郊へと迫る。そのため、ヒエロン二世はカルタゴと縁を切り、ローマと結ぶ。
■ヒエロンがついたことにより、アグリジェントを除く多くの都市国家はローマにつく。アグリジェントを支援するため、カルタゴは、5万の兵を率いて駆けつける。
■開戦から二年後、ローマ軍は、カルタゴ・アグリジェント連合軍を破る
■さらに軍を進めようとしたローマは、海軍力がなかったため、急遽海軍を増設し、カルタゴと決戦する。
■紀元前260年ミレ沖合いにて、カルタゴ・ローマ両軍が激突。接舷戦法を編み出したローマがカルタゴに完勝。
■この戦いの勝利によって、シチリア島の反ローマ勢力は一斉にローマに鞍替えする。
■制海権が生命線のカルタゴは、350隻の大艦隊を率い、シチリア島南部に派遣。これに対しローマは330隻の艦隊で迎え撃つ。そうして、アグリジェント沖で開戦した戦いは、ローマ側被害30隻、カルタゴ側被害100隻というローマの完勝に終った。
■海戦の勝利に勢いに乗るローマはカルタゴの本拠地近くに上陸すると、周辺の都市を襲撃・略奪し、多くの財貨を本国に届け、いよいよカルタゴの本拠地チュニスにまで軍を進める。
■窮地にたったカルタゴは、シキリア島から歴戦の勇将クサンティポス率いる傭兵隊16000人と戦象100頭を呼び戻し、15000人のローマ軍と激突する。このチュニスの戦いでは、クサンティポスが完勝し、12000人のローマ人が戦死した。
■この戦いのローマ側の生存者は2000人となり、ほうほうのていで本国の救援部隊の艦隊に収容されるも、シキリア島の南岸で台風に襲われほとんどの乗組員が溺死した。
■紀元前254年、ローマは、カルタゴの拠点パレルモを占領
■紀元前250年、ついにローマは、カルタゴの最後の要塞リュリュバイオンの港を120隻の艦隊で海上封鎖すが、カルタゴ軍の奇襲を受け90隻を失う(ローマ史上最大)。残りの艦隊もまたも台風に合い、2隻を残し沈没。
■紀元前247年、カルタゴでハミルカル・バルカス(ハンニバルの父)が、陸海軍の軍司令官に抜擢される。
■ハミルカルの型破りの作戦行動開始。その内容は、リュリュバイオンに固執するのではなく、地理的に有利なパノルムスに拠点を移す。
■カルタゴ軍、パノムルスを攻略
■ハミルカルがパノムルスに迫るローマ軍を全て撃破。さらに、エリチェスを占領。このため、ローマ・カルタゴが互角の状況になり、一進一退が続く。
■紀元前241年、エリチェスの西方海上で、ローマ海軍はカルタゴ海軍を攻撃し、120隻を撃沈。
■エリチェス沖の海戦で、カルタゴ首脳部は一気に講和の方向に傾き、ローマとの屈辱的な和約を結ぶ。

少し長かったです・・すいません・・第二次ポエニ戦争とのつながりは次回で・・。

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