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ハンニバルは勝利できなかったのか? その2

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ハンニバルは勝利できなかったのか? その1

2005-11-27 ; 歴史雑学

日付があいてしまいすいませんでした。
さて、前回はカルタゴについて見てみました。今回は、ローマについてみてみます。

●共和制ローマ
ローマの統治はこの時代強固に結ばれており、同盟都市間の結束はかたかった。それを如実に示す事実は、ハンニバルが、カンネーの戦いに勝利後、ローマ同盟都市に離反をするよう画策するが、それはかなわなかったことからわかる。また、ローマはその昔から軍事能力に優れていたと言われている。そのローマの軍事とはどのようなものだったのだろうか。

●ローマの軍隊制度
アレクサンドロスが世界を制したことで、マケドニア式のファランクスは、ローマにポプリテスとして取り入れられた。紀元前405年以降、将兵には給与が支給されるようになったが、武器や装備も自前でなく官給品が与えられるようになった。ここにおいて、ローマの部隊には統一性が生まれ、市民の貧富の差が、軍務においてはみられなくなった。
歩兵も当初資産によって、装備の差があったのだが、統一されより組織的な行軍が可能となった。
当時のローマは徴兵制度をとっており、第二次ポエニ戦争時の動員力は10万人は超えるといわれていた。これに対し、カルタゴ軍は、基本は全て傭兵によってできており、そのため軍を組織するには常に貨幣が必要だったのだ。幸いなことに、スペインで銀山が発見され、ハンニバルはこの銀を使って精強な傭兵を雇い入れたのだった。
組織された軍隊と寄せ集めの軍隊、どちらが有利なのかは明白なことであろう。

●ローマの軍組織
執政官と呼ばれる政治的な権力者が、軍司令官という制度であった。複数の執政官がいる場合は、当初一日ごとに指揮を交代するといった問題ある制度があったのだが、後に改められた。
カンネーの戦いに参加した執政官パウルスとワァロは、馬鹿げた一日交代の指揮をこの決戦の舞台で行っていたというから驚きだ。
また、執政官が軍司令官を兼ねる制度は、たびたび、軍事の専門家でない人物が指揮することもあり、問題の多い制度であった。

ローマはカルタゴに比べると、かなり内部組織が充実していて、特に軍隊は精強であったといえよう。次回は第一次ポエニ戦争の影響をみてみます。

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