ラティウムとトロイ戦争 その2::国家の歴史
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ラティウムとトロイ戦争 その2

2005-11-22 ; 国家の歴史

ラティウムのアエネアスは勇敢に戦うも戦死してしまいます。父の悲報を聞いた息子アスカニウスは、シチリア諸国に反撃を試みます。今回はここから語ってみます。

●アスカニウス立つ
父の死後アスカニウスは自らラティウム軍を率いて、進出してきた諸王軍を内陸部におびき寄せ、これを撃退。これによってアスカニウスの勝利は決定的なものとなったのだ。
そうして、戦勝記念としてアスカニウスはティベリス河畔からローマの南南東の地に遷都。そのアルバ・ロンガに拠ってラティウム王を称したのであった。
それから12代300年に渡ってラティウムは存続していく。しなしながらまだ版図も小さく、他国に大きな影響力を及ぼすような国ではなかった。
12代の王プカロスには、二人の息子がいたが、弟のアムリスは兄のヌミトルを追放する。さらには、その娘の子であったロムルスとレムスをティベリス河に流してしまう。
しかし、二人の子供は伝承によると、牝の狼に育てられ、密かにアムリスに復讐を誓う。
成長した二人の子供は、見事アムリスを殺害し、祖父ヌミトルを王位に戻すことに成功。のちに王になったロムルスは、現在のローマの一角パラティヌスの丘に遷都し、自らの名前をとってこの地をローマと改める。
その都を城壁で囲んだところ、レムスが無神経にも飛び越しばかにしたことで、ロムルスは見せしめのために弟を殴殺してしまう。
このようにして、紀元前753年にローマが誕生したのである。しかしながら、このころのローマは羊飼いを主に、農業も営むわずか1000戸ほどの集落にすぎなかった。
この集落が、ヨーロッパ・地中海全土に及ぶ大帝国に発展するのはまだまだ先のことである。

まったく関係ない話ですが、ローマ人の名前って・・似たような名前が多くて困る・・・。

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    Comment

    ヘンリー・リーマン : 2005年11月22日(火) 01:17 URL edit
    コンスタンティヌスとコンスタンティウスとか。
    せめて時代をずらして出てきて欲しいですw
    meke : 2005年11月23日(水) 01:40 URL edit
    時代同じ位の人で、名前が一緒とかまでありますからねえ・・・。
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