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ラティウムとトロイ戦争 その1

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ラティウムとトロイ戦争 その2
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実録!ブメ廃止後の鋳造上げ

2005-11-21 ; 国家の歴史

ローマの前身ラティウム王国は、シュリーマンが発見したトロイとかかわりが深いです。今回は、トロイ戦争からラティウムが生まれローマになるまでを紹介いたします。

●トロイ戦争のあと
ホメロスの叙事詩イリアスには、トロイ戦争の記述があり、10年間におよぶ戦いは、最終的に木馬をトロイ側が城内に運び入れたことで、あっけなく終ってしまった。ギリシア諸国軍が城内に侵入したとき、武将の一人アエネアスが一部の身内のものたちと脱出、最終的にイタリア半島のティベリス河畔にたどりついた。

●脱出したアエネアス
アエネアスが逃げ延びたティベリス河畔は、当時ラティウム王国の領地で、国王ラティヌスは彼を歓迎し、娘のラウェニアと結婚させた。この婚姻は、アエネアスが愛と美の女神ウェヌスの息子だとラティヌスは知っていたからに違いないといわれている。
アエネアスがラウェニアと結婚したことを聞いた近隣の諸王は、本来なら自分がラウェニアと結婚していたはずだと怒り、兵力を結集して、ラティウム王国に攻め込んだ。しかしアエネアスもラティウム国内の兵力を集め、見事この敵を撃退することに成功すると共に、敵将をも討った。
このアエネアスと近隣諸王の戦いが、ローマの記録に残る最古の戦いであった。
この戦いで敗北した諸王の勢力はシチリア島に落ち延び、そこで勢力を再び蓄えて、ラティウムに復讐するために攻め込む。今度は、あまりに多勢に無勢の劣勢の中、アエネアスは陣頭で指揮中に水中に落ち溺死してしまう。
このピンチの中、父の溺死の報を聞いた息子アスカニウスは、反撃に打って出る。
続きは次回・・・・。

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