もし日露戦争後に満州権益を売り渡していたら その3::長編まとめ
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もし日露戦争後に満州権益を売り渡していたら その3

2015-03-30 ; 長編まとめ

ようやく最後までコピペしました。

これにて完結です。

1940年までの日本の概略を見てみよう。世界恐慌、関東大震災を大量の公共投資で乗り切った日本は国内インフラが他国に比べ格段に整っていた。
史実での日本は未開発で放置は嫌みたいで、植民地に投資をしすぎ利益回収ができなかった。
日本型植民地経営は現地にとってはよいが日本にとってはマイナスとしか思えない。
日本の元植民地の発展を見れば明らか。

この世界での植民地は台湾、南洋諸島だが史実の少なくとも三倍は投資を行っている。
台湾は1940年に独立か日本の県になるかの住民投票を行い台湾県となった。
台湾人の権利は5年後に日本人と全く同じになり、国会議員の立候補、選出も行う。
台湾の日本への参加をきっかけに台湾独自の軽減税率も5年かけて日本本土と同じにする。
納税義務が同じになることで権利も同じになるというわけだ。

台湾に残るアヘン問題はこのころには完全になくなっており、50歳以下の台湾人は全て日本語の会話、読み書きができる。
50歳以上でも日本語の会話ができないものはごくわずかになっていた。

第一次世界大戦を機に重工業化した日本は第一次世界大戦後、独墺と経済協定を結び、特にドイツからの技術者を大量に受け入れるとともにドイツでの現地法人設立などドイツへの民間進出を本格化。
ドイツ進出した企業は外国への現地法人設立で上がる利益がどれほど大きいかを感じる。
こういった経験をしたものが植民地不要論の旗頭になるのであった。

植民地は1960年ごろには下火になるが、1980年ごろにわかってきたが現地の発展、経済取引をしたほうが植民地経営より利益が格段に上がる。なぜかはここでは割愛する。

ともあれ、ドイツ復興で日本企業はいい目を見たわけだ。日本のドイツへのインフラ投資も日本の現地企業が請け負う。(今のODAと同じですね。感謝され日本企業に利益はいく)

1926年に八木アンテナの発表、アメリカで酷評された世界初のロケット技術は共に日本で大きな資金をかけ開発が進む。

技術面の発展、特に精密機械の発展が目覚ましいものがあった。
1930年代にはいるころには英仏を完全に追い抜き米と並んでいた。
分野によっては追い抜いている。
元来手先が器用で職人気質、単純作業にも強い日本人に機械工学は向いていたのは皆さんの知るところ。

もちろんこの発展はドイツによるところが大きい。
第一次世界大戦前のドイツは世界のトップをあらそう工業力を持っていたし、専門技術者の質でも世界有数であった。

1929年の世界恐慌では樺太と北海道にも大規模な投資が行われ、ついに樺太油田を発見開発に着手、1932年からは本格的に産油可能になる。
樺太から本土までパイプライン、鉄道をつなげる計画も発動。

一大事業として1930年から青函トンネルの工事がスタートする。
青函トンネルの構想は史実でも戦前からあった。

ヨーロッパでの緊張が高まってくると再軍備していないドイツでは軍事開発ができないため日独の技術者は日本で軍事技術の開発も行う。
しかしながら超コアな技術は日本人技術者のみで開発が進む。

そして1920年代に続きアメリカと同じで1930年代も目覚ましい経済発展が続く、1930年代には原材料を仕入れ、加工して輸出する加工貿易へと完全にシフトした。
戦後と同じく内需型の経済へ転換した。

日本の繁栄に引っ張られるように独墺経済も復興をみせた。
そのため隣国との緊張感を抱えつつも経済不安から来るファシズムや共産主義の台頭は両国ではなかった。

そして、1939年の冬戦争への義勇軍でヨーロッパでの評価も得た。
アメリカへは中国大陸に関しておおくの貢献をしている。

1940年には台湾の住民投票が国際的な絶賛を受けるも、自国の植民地経営に影響が出る英仏蘭ポルトガルスペインイタリアなどの植民地国は内心苦々しい思いをしている。
アメリカはフィリピンを独立させているしアメリカ世論も大絶賛。

日本はだいたいこんなところ。国内は道路網、鉄道網が史実の10倍は充実している。

日本のことを見たところで混乱のヨーロッパに話を戻そう。

冬戦争で力をみせたドイツの影響で、1939年のフランス選挙に影響を与える、ルブランでなくなんとドゴールが選出されてしまった。

イギリスはまだ融和派のチェンバレン。

フランスはオランダと同盟を結ぶ。ドイツはオランダフランスポーランドに囲まれる形になる。
フランスはずっとドイツの復讐を恐れていたのだ。

1940年、オーストラリア連合国で政治的混乱が始まる。
チェコスロバキアが連合から脱退。

これを見たイタリアはスロベニアへの工作をはじめる。

イタリアはスロベニアにてイタリア系住民の暴動が起きると暴動鎮圧の名目でトリエステへ進駐。実質占領を行った。

続いてスロベニアが独立宣言。イタリアにトリエステからの撤退を求めるが、一部地域がイタリア領になる。
スロベニアとイタリア間で秘密協定があったのではと噂されている。

オーストリアは国連でスロベニアの独立は無効と主張。
調査団派遣をスロベニア、イタリアが拒否し国連脱退。

弱腰のチェンバレンは融和策をとり、フランスは無言を貫いた。ドイツは抗議を行う。

1941年、ポーランド回廊でポーランド系住民の再暴動。
二度目の暴動を受け、ポーランドがドイツにポーランド回廊問題で抗議。
ポーランドはポーランド回廊国境に軍を配置。緊張が高まる。ドイツは抗議するも、仏蘭伊ソがこれを支持。

翌月、再度ポーランド回廊で暴動。ドイツは過激派ポーランド系住民を逮捕、首謀者グループは国外退去命令。

これにポーランド系住民が反発。それにポーランドが乗る形で抗議。そのため暴動がますます活発化する。

ドイツは軍隊を派遣し暴動の鎮圧に乗り出すし死者が発生。
ポーランド系住民はポーランドへのポーランド回廊割譲を求め抗議集会。

イギリスが調停に入り、住民投票て帰属を決めてはどうかと提案。ドイツはこれを拒否。

ポーランド回廊問題はポーランド、仏、伊、ソ、蘭がポーランド側、イギリスが中立。といった状況であった。

この情勢を見て、ポーランドは強気にドイツへ再度抗議すると共に、これ以上の死者が出るようなら軍を進駐させると通達。

再度ポーランド系住民とドイツ軍の衝突。死者15名を出す大惨事。
ポーランドはドイツに通告し、ポーランド回廊に進駐。

進駐を認めていないドイツはポーランド軍へ威嚇射撃。
ポーランド軍が止まらなかったため、ついにポーランドとドイツ軍は衝突する。

ポーランドはドイツへ宣戦布告。ドイツはポーランドへ宣戦布告。

この三時間後にドイツとポーランドの間で戦闘がはじまる。

ドイツは治安維持のための部隊であったが、ポーランドは精鋭部隊を派遣していたため、ポーランド回廊のドイツ軍は撤退する。

ポーランドはポーランド回廊の占領とともに自国領土宣言。

イギリスはだんまり。日本、アメリカは抗議。仏、伊、ソ、蘭は支持。

混乱に乗じ、イタリアは兼ねてより主権を奪取したかったアルバニアの主権獲得。スロベニアに威嚇行為を行う。

ドイツはポーランド回廊へ軍を派遣。ポーランド軍と衝突する。

ソビエトが突如東プロイセンに侵入開始。これはポーランドとソビエトの秘密協定をソビエトが守った形。

航空機の質でポーランドを圧倒するドイツは優勢にポーランド軍にあたるものの、東プロイセンの部隊はソビエトとポーランド軍に左右から挟撃される形になり、海路より脱出。

フィンランドがドイツと軍事同盟を結ぶ、冬戦争の借りを返すと国民の強力な支持のもとドイツ支援を決定。

イタリアがポーランド支持を表明。

ドイツが国際連盟に抗議し、非難決議が出されるもののポーランドは国連を脱退。
イタリア、ソビエトは脱退済みで何の効力もなかった。
イギリス、フランスは同盟国ではないのでだんまり。

見かねた日本がドイツ支援を表明。ドイツとポーランドとソビエトの問題である、日本は戦争参加国を増やし世界大戦に巻き込むのかとフランスは抗議。
また、日本が支援するならフランスはポーランドを支援すると抗議。フランスは元々ポーランドと軍事同盟を結んでいる。
(ここ矛盾してますね。フランスはすでに支持表明してます。)

ドイツ、総動員開始。
ポーランド、ソビエトはすでに秘密裏に総動員を行っていた。

ドイツ一旦ポーランド回廊から軍を引き防衛に徹する。総動員完了後反撃予定。

ソビエト、ポーランドによる東プロイセン、ポーランド回廊の占領。

1942年になる。ソビエト、フィンランドに再進行。
第二次冬戦争開始。
日本、フィンランドに義勇軍派遣を決定。

ソビエト、ポーランドは東プロイセンポーランド回廊の部隊を再編成。ドイツ本土への攻撃体制に入る。

日本は参戦決意し、ポーランド、ソビエトに宣戦布告。
ポーランド、ソビエトも日本に宣戦布告。

日本の参戦を受け、フランス、オランダも日本ドイツに宣戦布告。

ドイツ総動員完了。

ポーランド回廊国境にてドイツとポーランド、ソビエトの戦闘開始。

フランス軍、ラインラントに進駐。ドイツと激しい戦闘状態に入る。

日本、アムステルダムを艦砲射撃後、空母から空襲。

日本、オランダからの補給をたつためにオランダ領インドネシアを責めに入る。

日本軍、フィンランドに到着。

ドイツ、フィンランド共に戦線を押し戻す。ラインラントのフランスとドイツの争いは一進一退。

フランスはイギリスに参戦依頼。イギリスはフランスと日本両国が同盟国のため動けず。

アメリカはこのころ中華民国とともに中国大陸にて残党狩り中。
南モンゴル、東トルキスタンが成立するもモンゴル共和国が南モンゴルを認めず戦争状態に。
ソビエトがそれを支持し、南モンゴルにて国民党とアメリカがモンゴルとソビエトと闘う構図。
国民党の統一戦争とこの戦争でアメリカの戦争需要はみたせていた。アメリカはヨーロッパ大陸不干渉を宣言。

インドネシア戦線はオランダの通商破壊に日本は終始している。
このためオランダ本国への輸送が滞る。

オランダは自国の力は列強には遠く及ばないことを思い知らされることになる。
日本による洋上封鎖にすぐねをあげることになる。

1942年、フィンランド戦線は硬直。制海権は日本が持つ。
イギリスが参戦していないためドーバー海峡も素通りできる。

フランス艦隊と日本艦隊の戦闘がビスケー沖で発生。
優れたレーダー技術を使い、フランス艦隊を圧倒。
フランス艦隊は壊滅。
これをもって大西洋側の制海権を日本が持つことに。

1941年、オーストリアは中立破棄宣言、イタリアに宣戦布告。
イタリアとオーストリアのスロベニアを巡る戦いが開始。
ドイツ問題があったため、二国間で黙々と闘うことになる。

1942年に戻すと、日本艦隊の地中海侵入をイタリアは絶対拒否。
もし侵入したら宣戦布告をすると通達。

フランス艦隊は地中海で再建をはじめる。
これを放置できない日本はフランスを叩くためとイタリアに通達し、地中海へ侵入。

イタリアが日本に宣戦布告。フランスとイタリアの同盟成立。地中海での日本に対応するため。

日本と仏伊連合艦隊との海戦。イタリアが入ったことでかえって不利になった仏伊艦隊は敗れる。地中海は日本の制海権に。

イタリアがフランス側に参戦したことでオーストリアはドイツ側と同盟を結ぶ。

ポーランド、フランスの対ドイツ戦は停滞。
1942年末、オランダ本国は降伏するも植民地政府は継戦する。
そのため、インドネシアを潰す必要が出てくる。

1943年、東プロイセンからソビエト、ポーランドの追い出しに成功。ドイツは両国へ休戦を提案するも両国は拒否。

フィンランドでの戦闘は日本が制海権をとって以来ソビエト側が押し戻され、レニングラードまで戦線後退。

オランダ植民地政府が日本と交渉。 植民地政府海軍が壊滅したことを受けて。
降伏条件は植民地の解散だったため植民地政府は降伏を拒否。

日本海軍トリエステを封鎖し、オーストリア軍が占領。
これをもってオーストリアは戦争理由が無くなりイタリアと停戦交渉するも、イタリアは交渉受け入れず。

1943年夏、ドイツ軍プラハを占領。ポーランド降伏。

ソビエトは勢力が衰えないまま後退。

ポーランド戦線が終了したため、ドイツはフランスに戦力を集中。

ドイツは単独でフランスと戦争。
海軍が壊滅しているフランスは輸送が滞るに見えたが中立のイギリスから輸送が行われるていた。
日本は友好国イギリスの通商破壊はできなかった。

そんなわけで、ドイツとフランスの一騎打ちが行われる状態に。お互い海軍なしの陸軍の撃ち合いだった。

練度で勝るフランスと装備で勝るドイツの一進一退の攻防が繰り返されていた。

日本の通商破壊は仏伊、降伏するまでは蘭に対して行っている。

イタリア植民地は元々政情不安で抗戦組織に武器を供与するなどの援助をするだけで喜んでイタリア植民地政府と戦ってくれた。

地中海の制海権を日本が握っているのでイタリアは日干しになっていく。
練度装備が同等のオーストリア連合軍、これを機会に反乱を起こしたアルバニア軍がイタリアになだれ込んでいく。輸送は日本が受け持った。

年末にはファシスト政権が崩壊。イタリア降伏。トリエステ、チロルを失い、スロベニアはオーストリア連合に再度加盟した。アルバニアは独立。

イタリア植民地政府は反乱軍を抑えれなくなり、無政府状態に。後に臨時政府ができる。

1943年はフィンランド戦線の終了、ポーランドの降伏、イタリアの降伏とドイツ側の勝利に終わっている。イギリスの動きがどうなるのか。

オランダの植民地政府は依然抵抗を続けている。

1944年初頭、フランス、イギリスの秘密会議。
その後イギリス日本の秘密会議が行われる。内容は平和交渉。
日本はドイツと会議を行う。

ドイツの希望はアルザスロレーヌの返還。
第一次世界大戦の賠償の破棄を求める。賠償金は日本の説得で取らないこととする。
またフランスの脅威を落とすため植民地の順次解放を求めた。

日本はフランス植民地の中で特に抗争が激しいインドシナを解放するように要求。

フランスは植民地の解放は容認できないが、インドシナだけなら受け入れると通知。

1944年には練度が上がって来て、経済力に元から勝るドイツが優位に進めている。
また、日本が他の戦争を終わらせていることもあり、日本が本格的にフランスへ参戦したら終わることをフランスは把握していた。

フランスとドイツはベルリンで平和条約を締結。
内容はインドシナ植民地の放棄、第一次世界大戦の賠償金破棄、アルザスロレーヌの割譲にてまとまった。

残るはソビエト戦線とインドネシア。

フランスとドイツの平和条約は1944年の冬。インドネシアのお話は1944年の初頭と思って。
独仏交渉を初頭に行い、停戦が夏、条約が冬ね。

日本海軍はインドネシアの占領を決意、すでに植民地政府の海軍は全滅していたので、現地戦闘機を日本の空母戦闘機が駆逐。
この戦闘で日本は始めてのミサイルを試している。
まだまだ未熟な技術であったが今後につながるデータがとれた。
艦砲射撃と爆撃機での爆撃を行い、植民地政府を揺さぶると降伏。
インドネシア植民地政府を解散させると、海軍を駐留させ、現地住民と新政府開設の会議を行う。
当初武装蜂起を考えていた現地住民は日本の政策に口をポカーンとしていたそうだ。

新政府設立までと治安維持部隊設立運用の指導、治安維持部隊への武器供与、ただし、ファシズムと共産主義は認めない。

日本の依頼は、今後10年間の資本提供するかわりに資源開発をさせてほしい。
開発はインドネシア政府と共同実施、資金は半分提供。学校、病院設立の資金補助など。

この提案があり、現地で暴動は起きず、インドネシアは独立の道を歩む。

残るソビエト戦線。南モンゴル紛争はまだ続きアメリカとソビエトの代理戦争が行われている。

ヨーロッパ方面の作戦全て失敗したスターリンはきっと怒りで気が狂いそうになってるだろう。

ドイツ日本アメリカもこのままソビエトをほっておくわけはなく策を講じる。

史実では1940年に暗殺されたあの人がこの世界では実はロシア共和国で匿われている。
密かにメキシコから動いてもらったのだ。

毒をもって毒を制す。共産主義には共産主義を。

日米は1940年のトロツキー暗殺前に密かにロシア共和国に輸送していた。
トロツキーはロシア共和国内で一定の軍隊を揃えドイツ戦争中にフィンランドから部隊ごとレニングラードに送り込んだのだった。

トロツキーは東プロイセンから後退したソビエト軍を吸収し、現ベラルーシのミンスクに拠点を構える。
スターリンの大粛清を不満に思っている勢力は意外に大きいようだった。
トロツキーはさらに我々が勝てばバルト三国は独立させると約束。ウクライナの反政府組織を吸収。

ドイツからは武器の供与を行っている。日米からは資金の提供をトロツキーは受けていた。

そして期待通りにスターリンとトロツキーの内戦がはじまった。
内戦が開始するとスターリンはドイツと和平条約、南モンゴルへの進出も停止した。

トロツキーにはロシア共和国との密約があった。
ネルチンスク以東地域をロシア共和国が占領してよいと。
ロシア共和国はどれだけソビエトが混乱しようとネルチンスク以西には進出しない。
トロツキーは少なくともウラル山脈以西のいわゆるソビエトのヨーロッパ部分は最低でも確保したいと考えていた。

ロシア共和国がネルチンスクまで進出すると満州の国境線は全てロシア共和国になり安全保障上非常に安定する。(アメリカ、国民党にとって)

そんなわけでソビエト内戦が1944年末から始まり1945年には本格化する。

この内戦は1951年まで続きソビエトの国力を著しく落とすことになる。

簡単に推移を書くと、バルト三国とウクライナは独立することになり、ベラルーシはソビエトに参加、ウラル山脈以西はトロツキーが確保し、それ以外のロシア共和国以外の地域はガザフスタンなどを含めスターリンの領域。
ウラル山脈を超えて占領するにはお互いに難しく最初の二年でこの情勢になるが決着がつかず。
史実では1953年にスターリンがなくなるがこの世界では心労がたたり1951年に死去している。

スターリンが死去するとスターリン批判を行ったフルシチョフが政権につき、トロツキーと和平交渉。
そしてソビエトは統一される。
ロシア共和国はアメリカの助けもあり、ネルチンスクまでを確保。
ソビエトと講話する。(といってもトロツキー側とは同盟関係ではあったが)

これからソビエトは発展していくことになるが、資本主義社会との格差は広く、史実と違い東欧に衛星国を持たずさらにはバルト三国は共産主義でなく、ソビエト以外の共産主義国家はウクライナとモンゴル、ルーマニア、ユーゴスラビア、キューバといった少数の国にとどまる。
史実と異なりロシアコミンテルンが他国に絶大な影響をもってるわけではない。

1944年で終わったドイツ関連の戦争は第二次欧州大戦と呼称されることになった。第一次はナポレオン戦争。

第二次欧州大戦は1941年から1944年の三年間行われる。
きっかけはポーランド回廊の暴動からはじまり、独仏講話で終了した。イギリス、アメリカはこの戦争に参加しておらず、アメリカは中国戦線その後のロシア共和国とのソビエトとの戦争で戦争需要を満たした。

イギリスは戦争で疲弊することなく戦後を迎えることになる。
しかしインド、エジプトの支配に揺らぎがかなり出ており1950年代にはこれらは独立する。
イスラエルが建国されないため中東戦争は起きない。
このため中東地域も史実よりはかなり安定する。
1960年代には中東地域、アフリカ地域、アジア地域も独立していく。
こういった独立でイギリスは史実よりは強国であるが大英帝国は崩壊する。

フランスの植民地はアジア方面は第二次欧州大戦でインドシナを喪失し、1950年代にはモロッコ、チュニジアなどの北アフリカが独立。
1960年代にはアフリカ地域が独立。南米地域は史実と同じでフランスにとどまる。

フランスは三年間ドイツと戦いはしたが、はやめの休戦をしたことと休戦条件が過酷ではなかったため、早期に復旧した。

ドイツは第一次世界大戦での自信喪失を第二次欧州大戦で取り戻し、強国としの地位を固める。
1950年代には経済規模でイギリスを追い抜き世界三位の経済大国になる。
日本には言葉では言い表せないほどの感謝と尊敬をいだいており、黄色人種に対する差別は欧州でもっともはやくなくなった。
日独経済協定、技術協定、軍事同盟と日本と親密な関係にある。

オーストリアは第一次世界大戦後むりやりオーストリア連合国としてまとまったため政情が不安定であった。
日本の経済協力によりなんとか崩壊をまぬがれ、1930年代にはそれなりに安定してくるもののチェコスロバキアが連合から脱退し第二次欧州大戦のひとつの原因ともなった。

第二次欧州大戦後はスロベニアが連合に再度加盟し、チェコも再加入。スロバキアは独自路線を走る。
スロバキアは元々工業が盛んな地域であったため連合のメリットがなかったため抜けたがっていた。
それが実現したため大戦後もそのままだった。

イタリアはファシズムが崩壊し、立憲君主制の民主主義国家となる。しかしながら戦前の反省より国王の権限を祭事のみとした。

イタリアは第二次欧州大戦で植民地が崩壊し、チロル、トリエステといった第一次世界大戦後に獲得した地域を失った。
第二次欧州大戦後は対外強調路線を歩む。

アメリカは史実と同じく超大国で他を圧倒している。
しかしながら史実の第二次世界大戦後のように欧州経済が崩壊していないので世界の全貿易でのシェアが五割とか無茶な状態ではない。
それでも史実のアメリカの三割ましくらいの経済規模を持っている。
戦争需要も中国とソビエトで満たした。
アメリカの規模はドイツと日本を足しても届かない。(日独でアメリカの8割ほど)

日本は第二次欧州大戦でその実力を示した。
第二次欧州大戦開始当時の超大国といえる英米が参加しておらず、まだましな海軍がいるのがフランスだけだということもあり、その海軍の強さは他を圧倒していた。
表に出していないが第二次欧州大戦終結後にはミサイル技術、レーダー技術はアメリカを凌いでいる。(アメリカが史実のように全面戦争をしておらず、技術開発の必要がなかった)

またドイツとの共同研究で1940年代後半にジェットエンジンを開発実装しているが日独の非公開技術である。

日本は原子力発電の開発を急ピッチで進めている。
原子力発電はそのうち実用化するだろう。というのは火力発電では資源のない日本にはコストが高すぎるため。原爆をもっているともっぱらのうわさ。
おそらく1950年代には世界初の原子力発電所と原潜を開発することになる。
この頃になり原爆問題が明らかになることだろう。
原爆の実験場所がないな。いい案くださいなw

南洋諸島も日本の都道府県として住民投票の結果決定。これをもって日本の植民地は1940年代になくなる。

ロシア共和国は大統領制の民主主義国家として歩みを進めているトロツキーの件もあり隣国のソビエトとはいまのところ良好な関係であった。

そして1949年国際連合の成立会議がはじまる。今度は日米も参加が決まっている。

日本が提案した人種差別撤廃提案も受け入れられ、国際連盟で問題だった点の修正も行われた。中心となる国の選別も行われる。

中心となる国は日米英独はまず決定。

必ず統一後に大国となるソビエトもトロツキーを招いた。

フランス、オーストリア、イタリア、中華民国、ロシア共和国、カナダあたりを加えるかの会議が行われるた結果意見が割れたのでこちらは先の五国より権限の低い形での参加とすることが決められた。

国連は主要常任理事国の五カ国とその他常任理事国六カ国の組み合わせとし、その後の国力次第でその他常任理事国は格上げもあるとした。

主要常任理事国は3票の投票権を持ち、その他常任理事国は1票の投票権を持つ。
非常任理事国は地域ごとに5カ国選出する。

経済規模によってはその他常任理事国への格上げもある。会議の結果その他常任理事国からイタリアとカナダははずされた。今後に期待という形。

というわけで最終的には主要常任理事国は五カ国、その他常任理事国は四カ国、非常任理事国は各地域から五カ国となった。

主要常任理事国二カ国の反対で会議は否決されることとし、会議承認には三分の二の賛成が必要とした。

1949年12月31日、声が日本首脳陣に静かに語りかける。

よくここまで私の声に耳を傾けてくれました。
私の知る第二次世界大戦は回避されました。
第二次欧州大戦やソビエト内乱が起こってしまいましたが、この後の社会主義国になった東欧の停滞や欧州大戦で回避された東南アジアの独立戦争の回避...とあなたがたは私の期待をはるかに越える道を歩んでくださいました。

もうあなたがたは私の声など必要ないことでしょう。
あなたがたがよいと思う道を歩んでください。
それが日本ひいては世界の発展と平和に貢献することでしょう。

その言葉を最後に声はもう二度と聞こえることはなかったのである。

おわり。
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