もし日露戦争後に満州権益を売り渡していたら その2::長編まとめ

もし日露戦争後に満州権益を売り渡していたら その2

2014-11-27 ; 長編まとめ

ながながと空いてしまいました。
携帯から1コメずつコピーはしんど、、い。

第一次世界大戦は史実と同じ1919年に集結。しかしシベリア出兵はまだ続く。
史実ではアメリカの提案でソビエト打倒すべきで出兵したが、この世界ではロシア共和国の防衛になる。ロシア共和国はバイカル湖より東を領域としていたので史実より少ない戦費で防衛にあたる。1920年になるとポーランドがリトアニアを含むソビエト領の奪取を目指し戦争を仕掛ける。ポーランドソビエト戦争の勃発。これを受けてロシア共和国への攻勢が減少。
ソビエトポーランド戦争はまずポーランドの攻勢ではしまり、ソビエトが盛り返し、ヴィスワ川の奇跡がここでも起き、ポーランドの勝利で終わる。1921年リガ平和条約。リトアニア中部地域、ウクライナ西部をポーランドは獲得。ポーランド分割での屈辱を返した形。シベリア出兵も史実と違い防衛路線なので1921年に終了。ロシア共和国の防衛に成功。この結果、ソビエト、ロシア共和国ともに国家樹立。ロシア共和国は列強の承認を受ける。
結果的には無事ではあったが、ポーランド内ではドイツ領のポーランド回廊に攻め込む動きもあった。東欧の火種は消えていない。後にフィンランドを舞台に冬戦争も起こるし。
シベリア出兵は史実と全く内容が異なるけど割愛。ニコライエフスクの紛争とかは起きてない。史実より戦闘国全て被害が少ない。地域限定戦争のため。
西欧ではこの頃国際連盟が成立する。アメリカが不参加なのを声より聞いている日本はあまりやる気がなく国際連盟設立会議に参加。アメリカが不参加なのを確認すると撤退。
便宜上ソビエトとか書いてますが正確には違うけどそのへんは脳内保管してください。ウクライナもウクライナ共和国とかになってたけど割愛。
西欧情勢の主だったことは、スペインがモロッコ北部に戦争を仕掛ける。これは史実どおりフランスが途中から参戦しスペインの勝利でおわる。列強以外の西欧諸国はあまり強くない。
あ、史実でのドイツへの賠償金は1320億マルクでした。無茶すぎるね。
翌年1921.ワシントン会議。
これは史実とは正反対。アメリカと日本の軍事同盟が成立。英米の軍事同盟の確認。日英同盟の継続。
話が細かくなりすぎてきたので大雑把にこれ以降書きます。
日本に目を向けてみると、シベリア出兵によるロシア共和国の設立に成功、北樺太の奪取に成功、ヴェルサイユ条約は思い通りにいかなかったが多少の成果は見たことで外交的に大成功と言える。特にアメリカと防共で国是が一致したことが大きい。将来の日米戦争の可能性は低くなってきた。
国内政策はかかないつもりでしたが、ここは書かないとわからなくなるので記載。日本は1920年3月から史実では戦後不況に陥るが、戦争終結を見越し、日本政府は対策をうっている。まず敗戦国への経済復興支援とドイツ、オーストリアとの経済協定の締結。ドイツ領膠州湾、朝鮮への輸出強化、敗戦国本国との交易。
貿易向けに大量の輸送船の発注。これは第一次世界大戦終了により船の受注がなくなった船成金たちへの救済。
樺太の開発、資源調査の実施。鉄道の施設ラッシュ。重工業が発達しつつあったので国内での制作にこだわる。

不況を見越し先入れで公共投資を行うことで不況を回避。事前に知っているからできたこと。
日米軍事同盟締結、ロシア共和国との防共同盟締結。ドイツとの技術経済協定締結。英米には軍事協定で、ドイツ、オーストリアには経済協力で大戦を避けることを志向する。

満州への貿易も活発で、日本国内では黄金の20年代を満喫するアメリカの生活に追いつけ追い越せで経済は活況する。
民需品の質も徐々に向上、1930年代にはアメリカの次に大量消費社会を達成。
史実より第一次世界大戦前から経済発展していたため、戦時中に英仏への債権もそれなりにある。アメリカが7割、日本が3割といったところ。

ヴェルサイユ条約の賠償金について訂正。賠償金は紛糾しなかなか決まらないが、業を煮やしたフランス、イギリスはドイツへ1000億マルクの賠償金を請求。(史実は1320億)と変更。

話をドイツに移す。ドイツの支払い能力は年5億マルクでも危うい感じ。ルール工業地帯から取れる石炭と賠償金150億が限界と通知するも英仏は譲らず。後にイギリスは賠償金の大幅減額を認める。賠償金よりヴァイマール共和国体制の安定維持を望んでいた。フランスは経済破綻していたので日米への債権を払うために、経済復興のために賠償金がどうしても必要で強行に反対する。
日本は第一次世界大戦終了後翌年には日独経済協定を結びヴァイマール共和国の安定を志向し将来的によい日本の貿易パートナーとして寄与してくれることを期待。そうすることで戦争を回避できると思っていたから。自国経済にとってもメリットあるので。
ドイツの戦後はずっとギリギリてしたが、日本は積極的に介入する。

ドイツは史実ではラパッロ条約でソビエトと秘密協定を結ぶが、日本が先んじて日独経済協定を結んだため接近はなし。1923年に賠償金問題で業を煮やしたフランスがルール占領に動く、日英はこれに強力に反発。軍を撤退するように要求。撤退要求がなされないので日本は陸軍派遣を決定。ドイツ政府が武力で対応しなかったことでミュンヘン一揆はやはり起こってしまう。

1923年は関東大震災があったのですが、事前に知っているので史実より被害はかなり抑えられた。史実同様、アメリカ、イギリス、中華民国からは義援金や物資の提供が行われたが実は必要なかった。

ミュンヘン一揆が起こったことでファシズムの台頭を強く意識した日本は翌年アメリカで成立したアジア人移民排斥法を機にドイツ、オーストリアへ民間の現地法人を作り、そこに人員をつっこむ。

翌年、英仏独にてロカルノ条約を締結。これにて一応の安定を見せる。
ドイツ、日本共にソビエトと国交正常化。日本の国交正常化は史実どおり。

ナチスの台頭は国内の政情不安が高ったり、景気が悪化すると支持率が上がる。現に1927年は支持率を伸ばせていない。決定的になったのが賠償金問題の解決案のヤング案。1928だったと思う。
ミュンヘン一揆が起こったものの日本の軍隊派遣の通達でフランスは兵を引く。後の日本の資本投資でナチスの支持率は史実より低いがヒトラーの弁論能力は神がかっているためなにかのきっかけがあるととたんに政権を握られてしまう状況。
1928年、ヤング案が成立するも日本は英仏の債権支払いの猶予期間を調整し懐柔を図る。ドイツの賠償金を一部立て替え、その資金は彼らの債権から行う。実質、英仏からドイツへの債権付け替え。
その辺の努力もあり、1932年のヒトラー政権誕生はなくなるもののナチス党の党勢はある。
これがドイツの1935年くらいまでの流れ。

フランス、イタリアの動きは概ね史実どおり。スペイン、ポルトガルなども同じ。

アメリカは満州を領域に持っているのが特徴。ロシア共和国のおかげで緩衝国ができたとはいえソビエトと接している。また中国はずっときな臭い。

日米関係は史実よりは良好だけど、日本の躍進に脅威を感じていることは確か。極東で利害が一致しているので表立ってはいない感じ。
日英関係は良好に推移。

ソビエトは極東地域がないが全体としては微々たるもの。極東より中国、アフガニスタンなどの中央アジア、東欧への進出を狙う。

中国は日本が絡まないため歴史はかなり変わるが、袁世凱政権の崩壊、国民党政府(南京)と武官政府が対立。国民党政府の北伐が行われている。アメリカは孫文が共産党を抱き込んだことに不快感。今後共産党の追い出しが孫文死後に起こるものと思われる。史実と同じ。

次にポーランド。ポーランドはソビエトに戦争を仕掛け領土をとったものの中堅国のため、ドイツとロシアの脅威に対しどう当たるかを検討している。1932年にソビエトと不可侵条約締結。フランスとは軍事同盟締結。ポーランド回路に手を出したいところだが出せない。軍隊の装備は列強レベルに達していない。

史実では紛争地になった旧オーストリアハンガリー帝国領域は、オーストリア、ハンガリー、チェコスロバキア、スロベニアが連合王国となったため、ルーマニアとユーゴからの侵攻を受けなかった。もし受けていればヴェルサイユ体制の維持のため英仏軍が入ったことだろう。そのため攻め込めなかったのであった。

そのため、史実にあったハンガリーの領土奪還戦争もない。表面上ここは平和が保たれた。

先にあっさり終わる地域から行こう。中国は国民党政府の南京政府の勝利に終わり、ついに国共分裂、国共内戦に突入。これが後に日本と合同で戦う方向に共産党によってもっていかれてしまうが、この世界では日本の勢力はなし。アメリカが満州にいるが、鉄道地域以外に目立った動きはない。膠州湾もドイツだし、香港はイギリスと外国勢力は分裂均等化しているため標的を定められず。

日米は共産党との戦闘と見るや、国民党に協力。以前より国民党には共産党を排除するよう要請していたのでようやく中国統一の目が見えてきた感じ。

ソビエトは中共にもちろん協力するが、中国国内の勢力は現時点で圧倒的に国民党のため駆逐されていく。

史実でも国共内戦で壊滅直前まで行っていたが、こちらでは壊滅。残党はモンゴルへ脱出し雌伏する。

中国は国民党政府により軍閥、共産党を駆逐したため、国民党政府が中華民国政府となる。ソビエト以外の列強はこれを承認する。
中華民国にとっても最大の協力国はアメリカだが、アメリカの指導で民族自決の名目で隷属している周辺民族を独立させ、中共とソビエトの防波堤にするよう要請。いつ反撃されるかわからない状況で列強に手を引かれると困る中華民国は嫌々ながら受け入れる。

そのため、この地域は中華民国、東トルキスタン、南モンゴル、チベットとなった。満州は独立させると北満州の問題が出そうなのでロシア共和国との国境確定後にすることにした。

中華民国による平定は1939年。

なんのかんので日本は平和を謳歌してるねー。日露戦争集結の1905年からいまのところ1935年だから30年だ。
1935年からヨーロッパはきな臭くなってくる。

1935年は史実ではドイツ再軍備宣言があるがこの世界ではない。

この頃になってくるとファシズム、独裁政権が次々に成立。イタリア、ポルトガルが代表。イタリアは失われたイタリアの回収と称しギリシャを攻めたり、トリエステの獲得のためユーゴを攻めたりしていた。1935年にはエチオピアに対し第二次エチオピア戦争を始める。エチオピアは植民地になる。
フランスはチュニジア、モロッコなど北アフリカを手中に。エジプトはイギリス。
トリエステの獲得にあたって、オーストリア連合のスロベニアの領域があるため紛争化しそうになる。第一次大戦でチロルを取られていた連合は中立化の強制で取り返す動きもできない中、次はトリエステ。

これには列強の介入があり、オーストリア連合領域に関して、イタリアは不干渉とすることで妥結する。

スペインでは内戦が勃発。この内戦は最終的に独裁者ブランコの勝利で終わる。スペインが独裁政権に。

ドイツでは、フランスがライン川東部地域(ラインラント)から軍隊を撤退させる。ドイツに対する強行路線の変更が目立ってくる。さらに、東プロイセンから英仏軍が撤退。東プロイセンからの撤退には日米は反対したが撤退した。
ドイツは自衛のための軍隊しか認められておらず、空軍、海軍が禁止されていたので、イタリアの伸張、東プロイセンの駐留軍の撤退に脅威を感じていた。ドイツはポーランドがポーランド回廊を獲得できなかったことに不満を感じていると思っていたから。

国内ではナチスをはじめとした右派勢力は再軍備を主張する。世論も外国の脅威に対すべしと出る。

ドイツの再軍備を陸軍に限り認めると英米日は許可。フランスは反対したが最後は宥和し折れた。

というわけでドイツの再軍備。ただし、ラインラントに軍隊を置かないことを約束。ラインラントは独仏の国境線。ここを空けることはドイツのフランスに対する友好の証となった。ここを抑えるとドイツの産業の半分以上を支えるルール地域を抑えることができるから。ドイツはフランスに喉元を差し出した状態なわけだ。

国際連盟にソビエトが加入。国際連盟はヨーロッパ地域から離れた日米が加入していないため、紛争調停は非常に難航した。ヨーロッパ紛争に対し中立性を持った日米がいないため。
再軍備をもってドイツも国際連盟に加入。

日米は英仏から連盟への加入を求められるもアメリカはモンロー主義のため議会が拒否。日本は理由をつけるため、人種差別撤廃提案を連盟で行い、イギリス、オーストラリアの反対にあい、加入せず。
この提案には仏独墺は賛成していたのが面白いところ。独墺は日本にかなり恩を感じていたため。

日本の国際影響力は史実より強い。独墺に関わってるため。

あ、重大なことを書き忘れた。1929年に世界恐慌が発生。アメリカはニューディール政策、英仏はブロック経済、日本は例のごとく事前察知で何事もなかったように乗り切ったため一番被害がなかった。史実では世界恐慌でドイツ経済はとどめを刺されたが、事前に世界恐慌を知ることができた日本は独墺を取り込み経済復旧させた。

世界恐慌で追い詰められたドイツは史実で戦争を起こしているから、ドイツの安定化は日本にとっては必須だった。ついでに独墺の経済規模が大きくなれば日本にもメリットあるので。

話を戻す。史実ではドイツの再軍備を受けて危機感を持ったポーランドはフランスに防衛戦争を仕掛けることを提案する。この世界ではドイツの領土的復讐はないのでポーランドの温度は低いが一応フランスには提案した。

ソビエトはスターリンが実権を握る。ポーランド、フィンランド、ロシア共和国、満州、アフガニスタンと野心はたっぷりある。大粛清の真っ最中。

ここから先はWebで\(^o^)/

だが断るされたので書きました。

スペイン内戦は1936年だったので、ドイツの再軍備も1936年。スペイン内戦は政府派の穏健左派、極左、バスク、カタルーニャ独立派などが指示していた。反乱軍はファシズムのフランコが中心となる。

軍隊の主力部隊はフランコ側についたが、政府側にも4割ほど数の上ではついた。史実と同じ。

反乱軍は当初から優勢で、同じファシズムもイタリアとポルトガルが支援部隊を送る。特にイタリアは2個師団を派遣。
対する政府側は反ファシズム派を結集しようと呼びかけてソビエトとメキシコとフランスの支援を受ける。しかしフランスは政権交代があり、ファシズム容認派が政権を取り撤退。
イギリスはファシズムを容認していたので中立。ドイツは再軍備をはじめたばかりなので中立。日米は干渉せず。
あまり大勢に影響しなかったがソビエトの軍隊が一番戦場では光っていた。そらまあイタリアと比べれば。

スペイン内戦は反乱軍の勝利で終わる。スペインはフランスの独裁政権となる。

翌年1937年、ポーランド回廊でポーランド系住民による暴動が起きる。ポーランド回廊はポーランド系住民が6割以上閉め、ポーランド帰属派が内部でくすぶっていた。とされているがどこかの国が暴動を煽ったと噂されている。
ドイツは暴動を平定するために軍を派遣し鎮圧。そのときの軍の装備は旧式でポーランドにも劣るほどだった。

同年、ユーゴでイタリアに取られたトリエステを取り戻そうとする動きがあるが国王は拒否

ファシズムイタリアはオーストリア連合のトリエステを中心にイタリアへの返還を求めるが国際連盟の会議の結果否決される。

ソビエトはフィンランドへの圧力を強める。
同時にリトアニア、ラトビア、エストニアへも圧力を強める。この地域はロシア帝国の崩壊を機に独立できた地域。

翌1938年、ウクライナが共産化。ポーランド所有地域以外。

続いて、バルト三国へソビエトが駐留。共産化。ただし、リトアニアのポーランド領土以外。

フィンランドには軍隊通るの邪魔だから国境線を下げろと要求。受け入れられないフィンランドは翌年ソビエトと戦争になる。

この動きに危機感を感じたのは国境を接するドイツとポーランド。ソビエトは旧ロシア帝国領を取り戻したに過ぎないと主張。

イタリアは史実どおりに領土拡張を行っている。リビア、エチオピアは植民地。特に第二次エチオピア戦争は国際的非難を受け、孤立していた。また、第一次世界大戦での約束だったアルバニアの獲得はギリシャの介入があり、認められなかった。このため、アルバニアに対しては第一次世界大戦後に干渉を行い主権以外は全て獲得していた。アルバニア政府は主権だけは死守している状態。史実では1939年にドイツのチェコ併合を受けてアルバニアの併合を決断している。

この世界のドイツはナチス政権が成立しておらず、オーストリア連合の存在があるのでオーストリア連合領域には手を出していない。

いよいよ1939年。この年の9月に史実ではドイツのポーランド進行によって第二次世界大戦が始まっている。

モンゴルと満州帝国の境界紛争であるノモンハン事件は起きない。満州は中華民国のままで国境線の引き直しをしていないから。

ソビエトとフィンランドの冬戦争は勃発する。フィンランドに国境線を下げろという無茶な要求はさすがに受け入れられず、ソビエトは自作自演でフィンランドに攻撃されたと主張し、冬戦争開始。

ソビエトのバルト三国とフィンランドへの侵攻は独ソ不可侵条約が大きな原因ですが、この世界では独ソ不可侵条約は結ばれてません。ポーランド回廊でのドイツ軍の弱体ぶりとドイツの再軍備が遅かったのが原因でいまのうちにて感じです。

東プロイセンがあるドイツはソビエトのこの動きに危機感を高める。フィンランドは国際的に大声援を受けていたものの英仏スペインはノルウエーを通過するルートでの支援を提案したが、ノルウエーが中立をとったため実行できず。支援三国のノルウエーの資源を狙う動きが見え隠れしたから。また、ノルウエー、スウェーデンは中立政策をとっていた。

アメリカはモンロー主義のため、金銭支援にとどまった。日本はドイツ経由で艦船を派遣する。ドイツも陸軍を派遣。

この頃の日本はアメリカと共に著しい経済成長を遂げていた。日本は大陸不干渉を唱え、大陸に関する投資を全く行わなかった。その資金を全て国内へ向けたのだった。民間の生活レベルはアメリカにほぼ追いつき、経済規模もアメリカに次ぐ二番目になっていた。(そのうち復興をとげたイギリスに抜かれるものと思ったがイギリスも紛争介入でお金をつかっていたので抜かれなかった。)

日本の軍事費は年間予算の8%程度と経済成長を優先した軍事費であった。それでもその経済規模は巨大で海軍予算はイギリスに匹敵している。

植民地は来年よりなくなる予定で植民地なしでの工業力と軍事費の低減による経済発展は列強からの脅威であった。

領土の非拡張を唱えており、英米独墺との関係は良好。植民地を持たず、資源産出地が樺太油田だけのため資源を外国に頼っている。それだからこそ、日本はこの四カ国と親密な関係の構築に尽力していた。(声の未来の知識があるので、戦後では普通の国際関係を構築しようとしていたが当時では異端)

特にイギリスは資源産出地が多く日本はいいお客さんだったw

問題があるとすれば、日本は白人国家ではないということだ。それも独墺では問題とされていない。

ともあれ、日本がフィンランド戦線にドイツと共に参加した。ソビエトにとってはロシア共和国のことでうらみつらみある相手。アメリカほどではないが。

日本の軍隊の技術力はみなさんに妄想してもらおう。少なくとも史実よりは上。ドイツ軍は再軍備から3年なのでこれからですね。実は1937年から日本と技術協定をしている。まだ再建途上だけど少数派遣する程度ならなんとか。

それはさておきこれを見て欲しい。

※画像


フィンランドは名将マンネルハイムの元史実でも単独でなんとか講和まで持って行った。

たぶんはじめての戦闘描写。これまで日本が参加し史実で実際にあって違うのここだけだしねw

フィンランドはマンネルハイム線の死守を目指して実際よく守っていたが、ロシアの浸透作戦が始まると対応不能になったので半ゲリラ戦で対抗しつつマンネルハイム線を死守。日独到着後、日本はソビエトは海軍が脆弱なため日本はあっさりと制海権を取得。

軍艦からの艦砲射撃と空母からの航空機、爆撃機でもって洋上からレニングラード攻撃を目指す。

日本の海軍の活躍をもって海に面した地域をロシア軍は進むことができなくなった。具体的にはマンネルハイム線の突破が絶望的に。レニングラードを抑えれる海軍が睨みを聞かせているので部隊が釘付けになった。

東部から侵入してくる部隊には史実と同じく対応していく必要があるが日独の軍隊がいるためこの頃のソビエトより性能にまさる日独軍の航空機に空戦で歯が立たない。

史実でも4カ月で終わったのと同様にすぐ潰せないとみるや講和に動く。お互い獲得領土はなし、賠償金もなしであった。

この頃のロシア軍は大戦中最も弱い時期粛清しすぎによる人的被害が原因。

この戦争協力によりドイツの国際関係は改善。北欧諸国からは大歓迎を受けた。それによりスウェーデンから鉄鉱石の輸入もできるようになった。

冬戦争にポーランドは絡んでいない。ポーランドはポーランドソビエト不可侵条約を結んでいたからソビエトには手を出さず。まあ、ソビエトが条約を守らない国てことをどこもまだ知らないからね。

この後のヨーロッパの展開悩むね。やはりドイツは暴走してしまった路線かフランスとポーランドがドイツに危機感を感じる路線か。どうしよう?

(他の方のご意見)
ドイツと仲良く頑張るかゴーレムでも軍事力にしていただきたい。

日本調子に乗っちゃうシナリオとかね。
ここまでの日本の順調な発展と奇跡的な戦争回避の実現。
慎重に、少しずつ歴史に介入してきた『声』の油断。
『声』は安定した国内情勢と、すでに神格化されていた自身に対する政府首脳部の絶対的な忠誠を過信する。
ナチスの台頭がないのでドイツ国内の科学者達のアメリカ亡命はないものの、マンハッタン計画の成功と、致命的に関係が悪化してしまったソビエトの核武装は時間の問題。
『声』は、国際社会における日本の発言力強化、そして何よりソビエトに対する将来的な防衛策として、各国に先んじて核兵器の開発を指示。必要な技術の提供をする。

※技術提供はしませんw

キリがいいのでここで一旦コピペとめます。
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