神聖ローマ帝国 その3::国家の歴史
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神聖ローマ帝国 その3

2005-10-10 ; 国家の歴史

オットー1世の死後、神聖ローマ帝国として歩み始めたドイツでありましたが、皇帝位と帝国教会政策のおかげで歴代皇帝は伝統的にローマ教皇のいるイタリアへの攻勢に熱中しました(イタリア政策)。このため、ドイツ国内の統一より、遠征が重視されることとなり、国内はまとまらないまま中世をすごすことになるのです。

●オットー一世の死後
第二代皇帝シュタウフェン朝のフリードリヒ一世(バルバロッサ)は、イタリアにおける帝権回復のため5度にわたってイタリアに遠征し、十字軍にも参加したが、その途中川で溺死する。
第六代皇帝フリードリヒ二世は、シチリア女王を母として生まれ、幼年時代を教皇イノケンティウス三世の後見の元ですごし、教皇の支持の元皇帝に選出された。
フリードリヒ二世の経歴を見てわかるように、彼はイタリアを手中におさめること(イタリア政策)に熱中する。そのため、北イタリアのロンバルディア同盟(ミラノを中心とする北イタリア都市同盟)と激しく抗争を繰り返し、治世の大半をイタリアで過ごした。
また、彼はイタリア政策を強力に推し進めるために、国内の聖俗諸侯の支持を集めるために、大幅な特権を彼らに与えた。そのため、ドイツ国内はますます大諸侯の力が強くなっていく。
フリードリヒ二世の死後、シュタウフェン朝が断絶(1254)し、以後20年間に渡って、神聖ローマ皇帝が実質空位となり(大空位時代)、国内は大混乱に陥ってしまう。
1273年には、ハプスブルク家のルドルフ二世が皇帝に選出(1273)され、大空位時代に終止符を打ったが、その後も皇帝は少数の大諸侯によって選ばれるようになった。
有力諸侯は、1356年カール四世に「金印勅書(黄金文書)」を発布させ、有力諸侯の特権を法的に承認させたのだった。
■金印勅書とは?
皇帝選出権を持つ聖俗7人の諸侯(マインツ大司教・トリール(トリエル)大司教・ケルン大司教・ベーメン(ボヘミア)王・ファルツ伯・ザクセン公・ブランデンブルク辺境伯)を定め、皇帝選出をめぐって混乱が生じた場合は上記の7人の諸侯(彼らは選帝侯または選挙侯と呼ばれた)の多数決によることを定め、また選帝侯の特権を認めたもの。
これによって、皇帝選挙制度が確立され、国内の混乱はおさまったが、選定候は国内における完全な自治権を認められたので、彼らは皇帝に臣従する臣下ではなくなり、皇帝の権力はさらに弱いものとなってしまった。
このようにして、ドイツはフランス、スペイン、イングランドなどが中央集権化に成功していくなかで、分裂状態のまま大航海時代に突入するのである。
1438年ハプスブルク家のアルブレヒト二世以降、神聖ローマ帝国が解体するまで皇帝は代々ハプスブルク家から選出されていく。

長くなり、さらに煩雑な文章になってしまいましたが、これにて神聖ローマ帝国のお話はいったんおしまいです。明日は更新をお休みさせていただきますので、明後日お会いしましょう。

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