神聖ローマ帝国 その2::国家の歴史
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神聖ローマ帝国 その2

2005-10-09 ; 国家の歴史

さて、前回は、ザクセン公ハインリヒ一世が、東フランク国王に選出されたところまでお話しました。今回は、東フランクが神聖ローマとなり、分裂状態になるまでのお話です。

●神聖ローマ帝国の成立
ハインリヒ1世は、有力諸侯の出身であったため、前王コンラートは違って国内に大きな影響を及ぼせる力を持っていた。
彼はまず、辺境の防備を固め、ノルマン・マジャール(ハンガリーあたりに定住した民族)・スラブ人を撃退することに成功、また、国内の結束を固め、ドイツ王国の名称をもちいた。ドイツ王国の名称をハインリヒ一世がもちいたことによって、彼の即位をもって(919)国家としてのドイツが成立したのであった。
また、ハインリヒ一世は、国内の各部族の分裂を抑えることができなかったものの、国民の信頼を得ていたので、彼の死後、息子のオットー1世が国王に選出された。
オットー1世は即位すると、国家の統一に力を注ぎ、外敵のマジャール人を討ち、国内では敵対する諸侯(部族)を抑えて中央集権化につとめた。
■対マジャール人に対して
933年と955年のレヒフェルトの戦いでマジャール人を破り、彼らの西方進出を防ぐために、オストマルク辺境領(後のオーストリア)を置いてその後の進入に備えた。
■国内では
大諸侯を抑えるために、一族の者を諸侯として各地に配属したが、一族の者が各地の部族勢力と結んでしまったため、その目的は達成できなかった。そのため、教会や修道院領を王領とし、司教や修道院長の任命権を握り、聖職者を国王の官僚とし、彼らを王権の支柱とする政策(帝国教会政策、ようするに、教会領という名目で自分の勢力を増やそうとした政策)を採用し、中央集権化を図ろうとした。
この政策は、ローマ皇帝との関係を強化しなければ成り立たなかったので、オットー1世は、3回に渡ってイタリア遠征を行った。
このころ、ローマ教皇は、教皇領の拡大のため、イタリア国内の各諸侯と争っていたので、オットー1世に助けを求めたのだった。それにオットー1世が答え、3度にわたるイタリア遠征の実施となったわけである。
二度目の遠征の際に、教皇ヨハネス12世より「ローマ皇帝の帝冠」が授けられたことにより、962年以降東フランクは、帝国とよばれ、13世紀ごろには、「神聖ローマ帝国」という名称が一般化した。

●オットー1世以後の神聖ローマ帝国
オットー1世が帝冠を授かり、ドイツから中部イタリアにまたがる大帝国を建築したのだが、代々の皇帝は、教皇の呪縛、すなわちローマの発祥の地イタリアを支配することに熱中し、国内の中央集権がおろそかになってしまったため、神聖ローマ帝国国内の分裂は決定的なものとなる。

次回は、大航海時代までの神聖ローマ帝国を語ってみます。少し表現がややこしくなって申し訳ないです。

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    ルクレッツィア・ロッソ : 2005年10月09日(日) 18:40 URL edit
    いつもお世話になっております。
    さて、当方の事情によりブログのアドレスを変更いたしました。もしよろしければ、リンクの変更などお願いいただけませんでしょうか。
    これからも、末永くおつきあいください。
    では、よい航海を…

    新アドレス:http://popoloerrante.blog26.fc2.com/
    ブログの名前(Popolo errante. ~放浪者の日記~)に、変更はありません。

    meke : 2005年10月12日(水) 02:05 URL edit
    すでになにもいわず・・変更しておりました。
    今後ともよろしくでっす^^
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