神聖ローマ帝国 その1::国家の歴史
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神聖ローマ帝国 その1

2005-10-08 ; 国家の歴史

ドイツ、フランスは元はフランク王国が分裂してできた国家です。今回は、フランク王国の分裂から神聖ローマ帝国(ドイツ)の成り立ちを追ってみたいと思います。帝都ランキングで意外に人気が高かったウィーンに刺激を受けて紹介しておこうと思った記事です。
フランクについてはこちら

●フランクの分裂
カール大帝の後を受け継いだ、ルートヴィヒ一世は、817年に王国をロタール、ピピン、ルートヴィヒの三人の子供に分配したが、末弟のシャルルにも王国を分配しようとしたため、ロタールたちの反乱を招いた。
そこで、息子たちが反乱を起こしたため、ルートヴィヒ一世は、まずは息子ルートヴィヒを攻めるが、その最中亡くなった(840)。
父の死後、ピピンが早死にしたため、残りの三人の息子たちが王国内で争うことになり、長男のロタール一世は、王国全土の支配を計ったのに対し、次子ルートヴィヒ二世と末子シャルル二世が結んで、ロタール一世を破り、ヴェルダン条約を強制した(843)。
さらに、ロタール一世が亡くなり、その後を継いだロタール二世も没すると(869)、ルートヴィヒ二世とシャルル二世は再び手を結び、870年メルセン条約によって、中部フランクを東と西フランクで分割した。
■ヴェルダン条約とは?
ルートヴィヒ二世が東フランクを支配(領地はドイツとライン川以東)、シャルル二世が西フランクを支配(領地はフランス)
ロタール一世は中部フランク(東西フランクの間の地域)とイタリアを支配するとともに、西ローマ帝国位を継ぐ。
この条約によって、ロタール一世の権威はかなり落ち、ルートヴィヒとシャルルの支配権は拡大した。
■メルセン条約とは?
イタリアを除く中部フランクの地域を東西フランクがほぼ均等に分割支配した条約。この条約によって、イタリア、ドイツ、フランスの将来にわたる領土の基礎が作られた。

●分裂後
イタリアでは、ルイ二世が没すると(875)早くもカロリング朝は断絶し、北イタリアはビザンツや東フランクの圧迫を受け、南イタリアはイスラムやノルマンの侵入を受けたため早くも分裂状態になり、中世におけるイタリアは地理的名称にしかすぎなくなってしまった。
東フランクでは、ルートヴィヒ四世が亡くなると(911)、カロリング朝は断絶し、カロリング家と血縁関係にあったコンラート一世が国王に選出された。しかしながら、このころマジャール人の侵入に苦しめられたのと、国内の各部族が分裂していたために、王としては権力が弱かった。
こうした中、国内では、血縁より実力のある者に王になってもらい、中央集権が進むのを望むようになっていき、賢明なコンラート一世は血縁でなく有力諸侯であったザクセン公ハインリヒ一世を国王に指名した。
ハインリヒ一世以後は次回で・・・・・。

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