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マリア王妃 DOLNPCその3

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提督に捧ぐ・・ナポレオンの野望

2009-03-08 ; 人物列伝

なにやら女性ばかりが続きます・・。WIKIの人物リストが悪いんです。僕のせいじゃありません。
マリア王妃・・・正直マリアという名前は一般的すぎていっぱいいます・・・。

候補をあげてみますと・・・

◆マリア・フォン・エスターライヒ(1505-1558)
エスターライヒという名前のとおり?、ボヘミア王の王妃です。エスターライヒ=ハプスブルクです。
結婚したのが1522年と17歳のときで、それまではハプスブルク領地フランドルで育つ。(彼女の兄弟を育てたのが、マルグリットという人物で、ネーデルラント17州の総督でした。)
◆マリア・フォン・エスターライヒ(1531-1581)
名前が一緒ですが別人。(めんどくせえ)こちらは神聖ローマ皇帝フェルディナンド一世の娘。
上のマリアの一世代後ですね。
◆マリア・フォン・シュパーニエン(1528-1603)
スペインのマドリード生まれ。神聖ローマ皇帝カール五世の娘。
◆マリア・デ・アラゴン・イ・カスティリャ(1482-1517)
名前のとおり、アラゴン・カスティリャのフェルディナンドとイザベラの娘。ポルトガル王マヌエル一世の王妃。

さて・・きりがないのでこのへんでマリアのご紹介は止めます。
有力なのは一番最初のマリア・フォン・エスターライヒなんですが、王妃という表現が気になります。
マリア・フォン・エスターライヒは結婚後ボヘミアに行きましたので・・・。マリア王女ならしっくりきます。
しかしながらマリア・フォン・エスターライヒにはこの後の話があります。
マリア・フォン・エスターライヒの結婚相手であった、ボヘミア・ハンガリー王のラヨシュ2世は1526年のモハッチの戦いでオスマン帝国に破れ戦死します。
その結果、ボヘミア・ハンガリー王はフェルディナンド大公に相続されます。このことで、神聖ローマ皇帝カール5世(マリアの兄)は、叔母のマルグリットの後をついで、マリア・フォン・エスターライヒにネーデルランド総督の地位を与えます(1530年)。
結局マリア・フォン・エスターライヒは未亡人でしたが、ネーデルラントに留まっているのでDOL内アントワープ(当時のネーデルラントの中心都市)にいることは違和感ありません。

というわけで彼女の年齢は、1530年以降ですので25歳↑となります。

◆王妃マリア
・アントワープ
・教えてくれるスキル
美術・スラブ諸語
・好み
美術品

スラブ諸語・・ボヘミア(現在のチェコ)は元々スラブ人ゆかりの地です。17世紀まではスラブ貴族も多くいました。

東欧のこのあたりの歴史はいずれまとめたいですね・・ただかなり煩雑です。ハプスブルクまわりで一回まとめたんですが・・全部じゃないんで・・。(フリードリヒ三世の記事くらいです)

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Comment

taxi : 2015年11月28日(土) 20:29 URL edit
アントワープにいるマリア王妃への考察、素晴らしいです。
私の方でも気になっていたのですが、本日進めていたクエスト「交錯する運命」の中でのマリア王妃との会話で、カール5世がマリア王妃の「弟」だと分かりました。
しかし、考察されている中にもあるとおり、カール5世の姉に「マリア」はおらず、妹にはマリアがいる。
かつ、クエストの内容からもカール5世の娘のマリア妃ではなく、妹のマリアの事なのではということに私の方は考えが落ち着きました。
めけ : 2015年11月28日(土) 23:55 URL edit
こんにちは!
読んでいただきありがとうございます。
いま大航海ではそんなクエストがあるんですねー。この記事当時は情報がほぼなく、年代とスラブ諸語からの推測です。
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