2006-05-14 ; 歴史雑学
前回はルイ14世の治世の中でも突出した能力を発揮したコルベールについて見てみました。今回は、ルイ14世を中心に見てみたいと思います。しかし・・彼はマザランほど優れた政治的手腕をもっていたわけではありませんでした・・。さてさて。
●ルイ14世のご趣味
ルイ14世はパリの南西約20キロほどのところに、以前ルイ13世が狩り用の宿舎を建てていたヴェルサイユにかの有名な宮殿の建築を指示。
1661~82という20年以上かけて、ヴェルサイユ宮殿は作りこまれ、ここにルイ14世は宮廷を移した。
ヴェルサイユ宮殿は、バロック式と呼ばれる建築方法で、豪奢な室内装飾と広大な庭園で有名である。そこには国王の廷臣と化した貴族が集まり、日夜舞踏会やオペラ・演劇が演じられ、ヴェルサイユ宮殿はヨーロッパの外交・文化の中心となり、さらには、この影響は絶大で、フランス語はヨーロッパの国際語となるまでだった!
まあ、趣味として豪奢な宮殿を作ることはまだましで、ルイ14世はこれまでフランスの歴史でさんざん問題になった熱狂的なカトリック教徒であったため、またしても愚作のユグノー弾圧を開始・・・。
これは、数々の微妙な政策を打ち出したルイ14世の最大の失政と後世から評されるほど、フランスに多大な痛手だった。
ルイ14世がユグノー弾圧のために打ち出したプランは・・、ナントの勅令の廃止だった・・・。(ナントの勅令については、
こちら)
このことに半ばあきれはてたユグノーたちは、フランス国外に流出する・・。その数は20万人を超えるといわれるほどだった。また、ユグノーには、商工業に携わるものが多く、彼らの逃亡はフランスの産業・経済に深刻な打撃を与え、ルイ14世の晩年の財政窮乏の大きな原因となった。
●ルイ14世の外政
ルイ14世はものすごく恵まれたことに、2人の優れた宰相が作り上げた強力な国力とヨーロッパ最強と言われる陸軍をめいっぱい使い、ハプスブルク家の打倒を目標として自然国境説(大西洋・ライン川・アルプス山脈・ピレネー山脈の内側はフランスの領土であるべきだとの考え方)を口実に、しばしば隣国に侵略戦争をしかけて領土の拡大をはかった。
(これは・・私にはかの太陽王フェリペと重なる部分が多くあります。どこが重なるかというと、先人が築き上げてきた国力と財産をめいっぱい使い果たし・・その後の貧窮・国力の低下を招いてしまったことが・・・)
簡単に、ルイ14世の対外的に行ったことを見てみよう。
◆南ネーデルラント継承戦争(1667~68)
フランドルの一部を獲得。出費の割りに得たものは少ない。(オランダとイギリスの同盟とよく戦ったなあと感心)
◆ファルツ継承戦争(1689~97)
ドイツのファルツ選帝侯領の継承権を主張した侵略戦争。ここで得たものはない・・。
◆スペイン継承戦争(1701~13)
スペイン王にブルボン家(これフランスの王位の家柄)が継承することに危機感を感じた諸国との争い。フランス対イギリス・オランダ・ドイツなどなど。当初フランスが優勢だったが、最終的にはイギリスが一番得したように思える。要はフランスが負けた。
こんな戦争の名前を羅列されてもわけわからんと思うので、簡単に一言。
◆莫大な金を使ったけど、全く得るものがないばかりか、マイナスにしか働いていない。
と思っていただければ問題ないかと・・・。(各戦争については、いずれエントリーを設けます。)
ルイ14世は、フランスの威光を諸外国に見せようと奮闘したんですが、力の見せ方がうまくはなかったようです・・・。このために、後のイングランドの一人がちを演出してしまうのです・・・。カワイソス・・。次回はフランスの海外植民地を見てみます。
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Comment
やたら人んちの金銀掘って収奪して、そのまま浪費する国とはねえ。
でも、蓄積した力を外でなくて内に投資したら、子孫の代で苦労しなくて済んだのか。
この人・・・
破産しないところは、伝統ある国家とぽっと出た国家の違いかとおもいまする。この王のいけてなかったところは、敵対国を作りすぎたことだったのかも・・・
革命の日々さま>>
イギリスとオランダを敵にまわしたのは痛すぎましたなあ・・。
NANOさん>>
そうです!両方失敗したので今までに宰相が作り上げた強力な国家はパーです!